2019年8月9日金曜日

想像力と壁を乗り越える力

8月8日
9時ごろ目覚めた。爽やかだ。シャワーをお借りしてさっぱりしたところに、朝食のお誘い。悪いなあと思いながらも、ありがたく頂く。頂く前に皆で手をつなぎ、食前のお祈りを捧げる。神に日々の糧に感謝しつつ、我々との出会いにも触れてくださった。「アーメン」で終わるのだが、やっぱりその後に「頂きます」と合掌してしまう。日本人だなあ(笑)

食事の後に、アレックスさんにお誘いをうける。娘たちを連れて動物園に行こうと思っているんだけど一緒にどう?と。昼間の最高気温の予報は32度。この炎天下で撮影にいくよりは、動物園でリラックスして、夕刻辺りに公園に出かけて撮影をした方がよいと判断。喜んでお申し出をお受けすることにした。

ハルキウからロシア国境方面に向かう。郊外にある結構広大な動物園。何と入園料は無料で、しかも、ハルキウ市内を動物園行きのバスが常に巡回しているという。入り口には何故かクラシックカーがたくさん置いてあった。入り口で動物にあげる野菜を購入して、いざ入園。かおりはアレックスさん末娘「スラヴァ」さんをベビーカーに乗せて押す。二人とも、とても楽しそう。長女の「ミア」さんは、お父さんと手をつなぎ、とてもうれしそう。なんだろうなあ。この幸せで平和な感じは。

様々な動物たちを一緒に見たり、触ったり、餌をあげたりして、一通り楽しんだ後、遊具のあるところについた。「15分ぐらい、ここで子どもたちを遊ばせてから帰ろうか」ということになった。アレックスさんは末娘を、私は長女に目配せしながら、恐らく、この旅で初めての、リラックスした時間を過ごした。子どもたちの楽しそうな声に囲まれながら、木漏れ日を浴びる。4か月を超える旅の中で、こんな瞬間があったろうか。目に映るすべてのものが美しい。耳に入る全ての音が幸せに満ちているような。台湾の路地の喧噪、ティファナの国境、ソーク研究所の夕日、トロントでの生活、ルーブルもアウシュビッツも、ブルガリアのフレスコも、バルセロナのアートも含めて、全ての経験が私の血肉となっていくような感覚があるこの旅。でも、今だけは「何も考えなくてよい」と許されているような気がした。

帰宅。途中、警察が取り締まりを行っていた。止められたが、ウクライナでは残念ながら警察を始めとした公権力が信用できない状態だという。毅然とした態度で、全てを聞き、証拠の提示を求め、その場での支払いに応じないことが肝要だという。いろいろ問題はありながらも、警察官を「正義」として信じることができる日本と言う国は素晴らしく安全なんだなあと思うことだった。

帰り道に森の中に「難民のキャンプがこの先にある」と教えて頂いた。僕はこの時、これはアフガニスタンやシリア、アフリカからの難民の事を差しているのだと無条件に思っていた。

帰宅後、地下鉄に乗って撮影に出かけた。2時間足らずの撮影だったが15枚の撮影ができた。地下鉄に乗る前に、見ず知らずの若者に「両替」を頼まれた。普通は応じないが、非常に困っている様子だったので、危険を承知で両替に応じた。20フリブニャの札を細かいものに変えてほしいという。丁度、替えられるだけの札をもっていた。結局、彼らからは厚く感謝を言われ、地下鉄のICカードの残高チェックの仕方を教わることになった。一部の事件や被害のせいで、善良な人が疑われ、困っている状況を打破できずにいた。それを見逃すところだった。地下鉄の構内を歩きながら、何だか、彼らの状況と、僕らの撮影活動とダブっているように感じられた。喜捨を乞うでもなく、めんどくさい事を求めているわけでもないのだが、やはり「警戒心」という壁が必ず存在する。その中で「僕らの思い」がたまたま通じて、説明を聞いていただいて、壁がなくなったときにやっと撮影ができる。

抽象画を見て「なんじゃこりゃ?」と通り過ぎることもあるだろう。でも時々「何故、こんな絵を描くに至ったのか」ということに思いを巡らせてくれる人がいる。それが想像力であり、表現が存在できる理由にもなっていると思う。しかも、今回の表現は自分の力だけでは成立せず、様々な「疑い」や「警戒」「面倒くささ」というような様々なことを乗り越えて協力くださる方々の力におすがりしなければ成立しない。最初「撮影目標1万枚」なんて言っていたが、余りにも僕はイノセントだったと、今更ながら思う。1枚撮影にこぎつけることの大変さ、そして、協力者がどれだけの葛藤をしながら歩み寄ってくれているのか、やっと分かってきた。

遠い異国で、どこの誰だかわからない、何を考えているか分からない東洋人に「協力しよう」と言う人が、そろそろ900人に達しようとしていることが、今更ながら尊く思える。いくつかの壁を乗り越え、平和の連鎖につながってくれた人たちの「想像力」に敬意を表し感謝したい。

外務省のホームページには「両替はもちろん、人前で財布を見せる行為」は控えるようにとある。とてもよくわかる。しかし、時には目の前にある事実と向き合い、想像力を働かせ、恐怖や疑いを改めて見直してみる必要があるのではないかと思う。もちろん自己責任なのだが、自分の身の安全のみを考えてばかりでは、想像力という翼をもがれたままになってしまう危険性もあるなと。ひいては、こういう想像力の欠如が全体主義への移行という危険性を孕んでいるのかもしれないと思うことだった。

9時過ぎに家に帰ると、アレックスさんと長女さんはお出かけしていた。末娘はすでに眠っていた。程なく、二人とも帰宅。「お茶でもどう?」と勧められ、頂いた緑茶。しかも上等な味がした。有り難い。

ここから、2時間ほど彼と話し込んだ。まず、彼の仕事の内容について。彼が言う難民とは、ウクライナ国内でロシア占領下にある地域から逃れてくる人々の事だった。彼はワンボックスカーに、難民たちを助けるための物資を山のように積み込み、ロシア軍とウクライナ軍が向かい合う最前線まで出かけていって、難民を救い、安全な場所まで運び、時に戦闘に疲れたウクライナ兵達の前で演奏会を開いて、ひと時の憩いの時間を提供したりする。

現在、ロシアの勢力下にある地域は大きく2か所。ドネツク地区周辺とクリミア半島。その前線を車で回りながら、難民を助けるという活動を展開している。娘さんのことや家族のことも心配だろう。しかし、彼は教会の仲間たちと前線を駆け回る。そして難民たちを救う活動を続けている。ウクライナは、現在、国内で難民が発生している状態なのだ。知らなかった。そんな記事や報道は聞いたことがなかったし、知らないがゆえに、その衝撃は大きかった。しばらく言葉を失った。

世界は知らないことや、想像を絶することに満ちている。想像力をいくら働かせても、思いを寄せるに至らないことが山ほどあるのだ。平和な国に生まれ、育ち、教育を受け、いくつか海外を巡って、ちょっとはいろいろなことが分かったと思っていた。違う。もっと、想像しなければならないのは自分自身であり、それを表現するための手立てを身に着けなればならないのは、自分自身なのだ。

話が落ち着き、彼から提案があった。土曜日に協会主催の若者たち(難民を含む)のディベートを中心とした集まりがあるのだが、それに参加してくれないかと言う。こういう活動に至った経緯や、彼らの知らない海外の話、そして僕らのこの活動にかける思いを話してほしいという。快諾したが、英語でアドリブで話をしてスムーズに事が運ぶとは思えない。これから、原稿を書こうと思う。

また、日曜日のミサでアレックスさんのギターと、かおりの歌、僕のパーカッションで「Even When It Hurts」という曲を披露することになった。娘さんの状況が悪い時にこの曲を聞いて救われたことがあるとおっしゃった。二つ返事で引き受けた。

日記の最後に、曲の歌詞を掲載する。

Take this fainted heart
Take these tainted hands
Wash me in your love
Come like grace again
Even when my strength is lost
I'll praise you
Even when I have no song
I'll praise you
Even when it's hard to find the words
Louder then I'll sing your praise
I will only sing your praise
Take this mountain weight
Take these ocean tears
Hold me through the trial
Come like hope again
Even when the fight seems lost
I'll praise you
Even when it hurts like hell
I'll praise you
Even when it makes no sense to sing
Louder then I'll sing your praise
I will only sing your praise
I will only sing your praise
I will only sing your praise
I will only sing your praise
And my heart burns only for you
You are all you are all I want
And my soul waits only for you
And I…