非常に複雑な地勢と歴史故、挨拶に気を遣う。アラブ圏では「シュクラン」、ヘブライ語では「トダ」なのだが、誰にどちらを使えばよいのか、正直よくわからない。
かおりは、行く先々で「ありがとう」にあたる現地語を調べ、積極的に使う。彼女流の現地へのリスペクトなのだ。私も影響を受けて、現地での挨拶を学ぶようになった。だが、結構忘れてしまう・・・。
ところが、こちらでは結局英語を使う羽目になっている。世界的な観光地であるお陰で、英語は苦も無く通じるというのもあるが、一見、ムスリムなのかユダヤ教徒なのか、区別がつきにくいところがあるからなのだ。(正装をしている人は分かる)
今朝もミニショップで、サンキューと言った。この地で我々の持つ最低限のリスペクトである「現地語でのありがとう」を使うことができないという現実。
こんなところにも、この地の持つ複雑な状況が影響する。
ちなみに、僕らはしょっちゅう中国人と間違われる。「ニーハオ」と声をかけられる。彼らなりのリスペクトなのか好奇心なのかわからないが、その度に「おしい!隣の国なんだ!」と言って笑って返している。
ちなみに、のっけから「日本人か?」と聞かれたのは1回だけ。アンマンのバスの運転手にボールペンを貸した時だけである。
ウクライナでもウクライナ語の「デャークユー」を使うべきなのかロシア語の「スパシーバ」を使えばいいのか迷うことがあった。ウクライナ人の振る舞いを見ていると、両方とも使っているのだ。事情が上手く呑み込めない我々は、少々、おっかなびっくり「デャークユー」を使っていた。その後、2014年の革命後、ロシア語ではなくてウクライナ語を積極的に使おうということになり「デャークユー」を使うようになったが、名残で「スパシーバ」を使う人も未だに多いのだということを知った。
挨拶一つとっても、その国の持つ事情と歴史に気を遣うことがあるのだ。
感謝を伝えることにすら、気を遣う社会が存在するという驚きもまた、この旅を通じて分かったことの一つである。
写真はエルサレムの路地。ムスリムの女性とユダヤ教徒の男性が歩いている。
かおりは、行く先々で「ありがとう」にあたる現地語を調べ、積極的に使う。彼女流の現地へのリスペクトなのだ。私も影響を受けて、現地での挨拶を学ぶようになった。だが、結構忘れてしまう・・・。
ところが、こちらでは結局英語を使う羽目になっている。世界的な観光地であるお陰で、英語は苦も無く通じるというのもあるが、一見、ムスリムなのかユダヤ教徒なのか、区別がつきにくいところがあるからなのだ。(正装をしている人は分かる)
今朝もミニショップで、サンキューと言った。この地で我々の持つ最低限のリスペクトである「現地語でのありがとう」を使うことができないという現実。
こんなところにも、この地の持つ複雑な状況が影響する。
ちなみに、僕らはしょっちゅう中国人と間違われる。「ニーハオ」と声をかけられる。彼らなりのリスペクトなのか好奇心なのかわからないが、その度に「おしい!隣の国なんだ!」と言って笑って返している。
ちなみに、のっけから「日本人か?」と聞かれたのは1回だけ。アンマンのバスの運転手にボールペンを貸した時だけである。
ウクライナでもウクライナ語の「デャークユー」を使うべきなのかロシア語の「スパシーバ」を使えばいいのか迷うことがあった。ウクライナ人の振る舞いを見ていると、両方とも使っているのだ。事情が上手く呑み込めない我々は、少々、おっかなびっくり「デャークユー」を使っていた。その後、2014年の革命後、ロシア語ではなくてウクライナ語を積極的に使おうということになり「デャークユー」を使うようになったが、名残で「スパシーバ」を使う人も未だに多いのだということを知った。
挨拶一つとっても、その国の持つ事情と歴史に気を遣うことがあるのだ。
感謝を伝えることにすら、気を遣う社会が存在するという驚きもまた、この旅を通じて分かったことの一つである。
写真はエルサレムの路地。ムスリムの女性とユダヤ教徒の男性が歩いている。