2019年7月22日月曜日

人が害虫に変わる過程と民主主義・差別と保身

10時10分前にアウシュビッツビルケナウ博物館正門前へ集合とのことだった。15分前に正門前に突っ立っていると日本人らしき人々が集まってきた。で、博物館公認ガイド中谷さん登場。明日から休暇なので、今日は参加者が集中し、定員をオーバーするらしい。改めてご挨拶をした「何度もメールをした東と申します」「ああ。ここにいる人はみんな、何度もメールのやり取りをしていますよ」「インタビューの件を依頼した画家の東です。ポーランドの歴史継承問題で立場的に答えることが難しいとのことでした」「ああ。そうなんですよ。公式ガイドということで、私の発言で博物館に迷惑をかけたくないのでご了承ください。映画で音声を使いたいとのことでしたが、ご自身の主観でよいのでは?」「いや。実はいろいろな立場の他者の発言を並べることで、普遍的な平和へのあり方を探るというムービーなのです。インタビューは諦めますが、ここで学ぶことをこれからの旅に存分に生かせていただきます」と言った。

セキュリティーチェックを通って、中谷さんから離れてもガイドが聞こえるようにレシーバーとヘッドフォンを渡され見学が始まった。

中谷さんのガイドはもちろん、史実を客観的に伝えることが中心だったが、現在社会に潜む、歴史を繰り返す可能性や、そのプロセス。それを、私たちの暮らす日本で起こっている出来事と比較しながら話を進めるものだった。

衝撃的だったのは、人が人を人だと思わなくなるプロセスだ。それは第1次世界大戦後のドイツ社会から始まった所謂小さな「ヘイトスピーチ」から始まったのだという。それが民主主義の根幹を成す「選挙」を経て、ヒトラーが30パーセントほどの議席を確保し、連立政権を樹立して政権を掌握した。小さな声が次第に大きくなり、止めることができなくなった。反対するものは、ことごとく政治犯として収容所に入れられた。次に戦争捕虜たちが収容所に送られ始めた。ヒトラーはユダヤ人を「劣等人種」と差別しゲットーに押し込み排除しようとした。ところが企業からの労働力の要請と、ユダヤ人をこれ以上隔離追放できなくなったため、ホロコーストに及んだという話。

過去にキリスト教社会でユダヤ教が蔑まれていたことは知っていた。(今もそうかは知らない)それは、ユダヤ教が宗教として同じ源流を持ちながら、キリストを救世主として認めないということ。また、キリストを磔にしたのはユダヤ人だということからだ。商業という最も嫌がられる職業に就くことしかできず、さらには商業からの締め出しもあり、金融業に従事することになった。そのことが、さらにキリスト教社会から、蔑まれる原因になった。

20世紀になっても、その蔑みは消えることなく、ナチスドイツの支配下で、ユダヤ人は「人」から「劣等民族」へ。そして最後は社会の「害虫」として見なされるようになった。ホロコーストで使用された「チクロンB」という薬剤は「殺虫剤」。人から害虫とみなされるようになったユダヤ人は「殺虫剤」で大量虐殺されるに至ったのだ。(ここではユダヤ人とは何かという問題には複雑なのであえて触れない。また、収監されていたのはユダヤ人だけでないことを付け加えておく)

ヨーロッパ中から集められて、貨車の中にぎゅうぎゅうに押し込まれて、アウシュビッツに到着。その道中で命を落とすものもいたという。ドイツ人の医者が「労働力となるもの」と「そうでないもの(女性・子どもを含め)」に選別し、ユダヤ人が「そうでないもの」をガス室に連れて行く。髪を刈り、遺体を運び、焼き、廃棄する。一連を全てをユダヤ人にさせていた。自分の命を守るためにユダヤ人がユダヤ人を殺害する。また、労働力として収監されたユダヤ人を監視するのもユダヤ人だった。少しでも有利な立場に立つために、ユダヤ人の中に激しい差別や競争があったのだ。

そして驚くべきことに、収容所の中で、ドイツ兵が直接手を下すようなことはなかったという。それは、部下に大量虐殺に関わっているという「罪悪感」を生み出させないための「愛」でもあったのだと。ドイツ人は愛すべき「人」だったのだ。しかしユダヤ人は、もはや愛を注げる「人」ではなくなっていたのだ。

ユダヤ人が人から害虫へと変わった過程。街中の小さなヘイトスピーチが発端となり、社会的なうねりとなっていった。その後、民衆は選挙でヒトラーのナチスを選んだ。これは民主主義が生んだ惨事なのだ。

現在、フランスはマクロン政権だが、もし極右政党のルペンが大統領になっていたら、自国に不都合な歴史は教育から消されていっただろうという。民主主義とは、そういった危うい側面を持っているということを忘れてはならず、大勢に流されずに、真実を見抜き、声を上げるということが常に必要なのだ。

ブルガリアを訪問した直後だったので、中谷さんに「ブルガリアの人から聞いたのですが、ブルガリアは大戦下にユダヤ人移送に協力しなかったんですよね。ヨーロッパ最大のシナゴーグがあるのもその証拠だとおっしゃっていました」と質問してみた。「確かに、大戦下においてユダヤ人移送に協力しなかった国はあります。デンマークとブルガリアです。同じ支配下にありながら、地理的な状況や民族の伝統もあったのでしょう。支配下で全く同じ反応あったわけではなく、国家レベルや個人レベルで価値観に差があった。我々にとってその「差」が希望であり(平和)への希望でもあります」と。同じ状況下で発生する「価値観の差」が有事の希望になりうる。多様な考え方を認めることは希望でもあるのだ。

遺伝学的に人種の優劣はないという認識が広く認知されている現在でも、差別は現存している。

最近、慰安婦問題、レーザー照射問題、徴用工問題、韓国ホワイト国除外問題など、日韓関係が悪化の一途を辿っている。時々、ニュースを読む。そこに見え隠れする、お互いの国の「優劣」に関する記事。記事につくコメントの数々を見ると、所謂「ヘイトスピーチ」が散見される。

街角の小さな声が、民主政治を動かし、人を害虫にしてしまったように、このネット上の声が、日本や韓国の民主主義をおかしな方へ向けさせていくのではないかと危惧している。民主主義が差別を助長することなく、また同じ過ちを繰り返さないようにすべきなのではないか。そして、我々は具体的に何らかのアクションを起こすべきではないのかと。

このアウシュビッツビルケナウ博物館も歴史継承問題で難しい立場に置かれているという。ナチス主導で作られたこの施設がポーランドにあることが問題を難しくしている。この状況が、ポーランドはナチスの被害国でありながら、まるで加害者のように扱われる原因になっているというのだ。ポーランドは2018年2月、ナチスドイツによるユダヤ人などの大虐殺について、ポーランドが加担していたと批判することを違法にする法案を可決した。この法案はイスラエルを始め各国から非難を浴びているらしいが、今のところ撤回するつもりはないらしい。このあおりで、公式ガイドとして発言に特に注意せねばならなくなった。それでも、中谷さんの話は現在の問題と過去を照らし合わせ、これから人類はどうやっていくべきなのかを問いかける。

そして、ここから我が内面へと「差別」の問題は広がっていく。教諭時代、子どもたちの中に潜む「差別」を駆逐しようと日々戦っていた。集団の中で自分の位置を決める子どもたち。あいつは強い。あいつは弱い。私はできない。あいつはできる。どの子にも差別は存在した。

ある日、1年生の教室の「一日のめあて」に「弱い子をいじめない」とあった。担任を前に怒り狂ったことがある。何故、子どもたちの中にある差別に気づかないのか。弱い子がいるという差別をどうして放置するのだ。その差別が、いじめにつながるんだ。かかわりのない子供たちが無関心を装い、いじめる側は益々エスカレートしていく。教師の仕事とは、子どもたちの中にある差別を駆逐することだ。できないと思っていた子どもの手を取り、できるようにさせ、集団に潜む差別を破壊するのだ。そのためには良い授業をして、全員できるようにさせる必要がある。いいか、全員だぞ。そんなクラスには絶対に差別やいじめは存在しない。

そうやって息まいてきた自分だった。しかし、その実、どうなのか。学ばない同僚を見て蔑んでいなかったか。自分が正義だと思うあまり、他者を差別していなかったか。そしてもっと掘り下げると「差別されること」から、逃げ出したい一心でもがき苦しんでいた自分がいなかったか。どうにかして「差別されない立場へ」向かおうとしていたのは、まぎれもない自分ではないのか。

アイヒマンのホロコースト裁判で、証言台に立ったユダヤ人が自らの罪に耐えかねて失神したという。彼はユダヤ人でありながら同胞を殺していたのだ。自分の立場を守るために。自分の命を守るために。

僕もいっしょではないのか。芸術を通した世界平和を唱えながら、その実「芸術家である」ということを盾に、政治的な発言を避けながら、大きなうねりに逆らっているように振る舞っているのではないか。

そう思ったら、自分の行動に吐き気がしてきた。琉球新報の記者さんに言われた「批判を恐れては、何も人に訴えることはできないと思います」と。民主主義の持つ危うさを知った今、自分の中に「保身」と「差別」を見つけた今、今までの僕でい続けると頭がおかしくなると思った。
作品をどのように作っていくのか。伝えたいメッセージを明確にし、批判を恐れないという覚悟をしなければならないのかもしれない。(これまでも様々な批判はされてきたが・・・)

当時使われていたガス室は、ドイツ軍が敗戦直前に事実の発覚を恐れて爆破したそうだ。だが、あわてていたせいもあって、当時がしのばれる状態を残している。博物館側としては、あえて保存も再建築もしないのだそうだ。それは「ユダヤ教では死者に触れることをよしとしない」という彼らの考えを尊重してのことだと。その後、来年、ここを広島市長が訪れるという。お互いに抱える遺産をどのように守り伝えていくのか話すのだという。

広島の原爆ドーム前で胎内被曝者が「原爆ドームを2億円もかけて補修工事してるんです。資料館も作り直している。でも、だれの為に、何のために保存するのかきちんとした議論がなされていない。アウシュビッツはその点、だれの為に何のために施設があるのか議論されている。そこが広島とアウシュビッツの違いだ」と言った。また、別のガイドは「人によっては、ここはただの通り道に過ぎないんです」とも言った。

朽ち果てたガス室、残った煙突を見ながら、広島で聞いたセリフがよみがえった。ここがどういった場所で、何を学ぶべき場所なのか、苦しい思いをした人々が救われるようなあり方が見つかると良い。

4日間、疲労困憊している中、いろいろなことを考えた。考えれば考えるほど、精神的な疲労でズタズタになった。

20日になり立ち直ったというより、自己否定を受け入れるエネルギーが溜まったというほうが正しいだろうか。ウクライナ、イスラエル、ヨルダンの難民コミュニティーと精神的に厳しい旅が続く。まずは肉体的な疲労を溜めないように、事実を受け止めていこうと思う。