2019年7月16日火曜日

うちのカントさん

茶を飲みながら話。かおりの旅に対する思いを沢山聞いた。あなたには目的がある。でも、私は何のために旅をしているのか時々分からなくなるという話から始まった。徒然と話が進む中で、旅に対する思いは、夫婦と言えど違うと思うと。「でも、旅に出るにあたって、いろいろな覚悟はしているよ」とかおりが語った。
「例えば、イスラム過激派の人に拉致されて殺されるようなことになっても。彼らはそいう教育というか、悪く言えば洗脳されているのかも知れないけど、彼らの人生を否定はできない。だって、彼らは他の考え方を知らないのだから。」話は続く。「でも、彼らに、もし、いろいろな考え方を知る機会があったら、過激派にならずに、他の道を選ぶことができたかもしれない。だから、いろいろな人の考え方を知ることって大切だよなあって思うんだよね。そうすれば平和になるのかなって」

かおりの話を聞いて目が点になった。言葉は違うが、かおりは僕のこの旅の宿題である、カントの言葉をそのまま口にしていると思ったのだ。僕からかおりに、カントの詳しい話をしたことはない。以前一度、ちゃんさねさんと、りかねえさんと、山本さんと飲んだ時に「この旅はカントの言葉を確かめる旅でもあるんです」と言ったことはあるが、かおりはその話の輪には入っていなかった。

「かおりは、今、この旅の僕の宿題である、カントの言葉を、ほぼそのまま言ったよ。驚いた」と。「なんか、カントって言ってたね。どんなこと言ったの?」

「カントは、啓蒙された個人が立場から立場へと動くことができる領域が拡大すればするほど、その範囲が広がれば広がるほど、その人の思考は一層『普遍的』となるであろうって言ったんだ。今、かおりはイスラム過激派の人でも、多くの考え方や思想に沢山触れることで学び、そんな人が増えることが平和につながるんじゃないかなという話をしたと思うんだけど、その考え方は、この旅の目的そのものなんだ」

かおりは黙って聞いていた。

「僕たちも、いろいろな立場にいる、いろいろな人々に出会って、様々な考え方に触れる。そうすることで、いろいろな人々の立場に立てるようになって、それを絵画や映像と言う手段で人に伝えていく。この旅は、他者の立場に立って平和を考えることができる人をふやすための旅なんだ。かおりは、今、その答えを、そのまま口にしたんだよ」

そこまで言う人が何故「旅に対する思いが夫婦で違うよね」という話になるんだ、と言って笑った。同じ方向を向いているじゃないか。時々、弱音は口にするけれど、しっかり考えているんだなと胸が熱くなった。そして、出発からここ3か月余り、かおりの思いをじっくり聞くということに時間を割かなかったことを反省した。

昼食を一緒にとりながら、かおりを敬意をこめて「カントさん」と呼んだ。かおりは嬉しそうに笑ったように見えた。

昼食後、1キロほど離れた温泉水が湧き出る泉に水を汲みに行って、その後、近くのマルシェで撮影をしようと出かけた。空を見上げると雲行きが怪しい。水を汲み終わると、大粒の雨が降り始めた。傘は持っていたが、役に立たないほどの大雨。近くの建物で雨宿りしていると、次から次に雨を避ける人が集まってきた。この雨が止むのかどうか心配になって、隣のおじ様に「この雨、どれぐらいで止むと思いますか?」「向こうの空が明るいから、一時的なものだろう」「流石。ここの人ですか?」「いや、アフガニスタンから来たんだ」「君は中国人?」「日本人です。中国とは同じ地域ですね」。何とアフガニスタンからロシアを経由してドイツに逃れた難民だったのだ。

「平和な頃、私の父は大阪で商売を学んで、ヨーロッパに輸入の店を何件も持っていたんだ。だから、小さいころ、日本の話をたくさん聞いたよ。挨拶も覚えてる。どうもありがとう、だっけ?」「そうです。発音良いですね」「でも、ソ連がアフガニスタンに攻め込んできてから、落ち着いて生活できる状態ではなくなった。それから内戦が起こった。この国では生きていけないと思ったんだ」「大変な話ですね」「そう。すごく大変だった」「アフガニスタンからブルガリに?」「いや、ロシア経由でドイツに行ったんだ」「紛争から逃れてきたんですね」「そうなんだ」と。短い立ち話だったけど、雨宿りでたまたま出会った人が元難民だということに驚いた。雨脚が弱まると「妻と息子においしい緑茶を入れてあげたくて探し回っていたんだ。君らが中国人だったら良いお茶のお店を知っているのかもしれないと思ったけど知らないよね」「僕らはツーリストなんです。お役に立てずにすいません」「じゃあ、お茶を探しに行かなきゃ」雨宿りついでに、ムービーの一コマになってもらおうと思ったけど「急いでいるからごめん」と。

そういう彼に一緒に写真を撮ってくれないかと、かおりがお願いした。彼は快く応じてくれた。雨脚がもっと弱まるのを待って、自宅へ帰った。雨はそれから降り続き、庇のトタンを夜中もずっとたたいていた。