2019年5月25日土曜日

日常のコントラスト

朝8時過ぎ「難民漂着」のメッセージが届いた。56名が未明に到着したらしい。表に出るとアンナさんが「今朝早く難民が到着したらしい。56名。リビアからみたい」と。9時半から車を出していただける。お願いして、イミグレーションと難民収容所への取材への同行をお願いした。

まずは難民船を見られるか聞いたが「難民船はすぐに陸揚げせずに、沖で調査や解体作業をするから見ることはできない」と言われた。代わりに連れて行ってもらった場所は「難民船の墓場」と言われる場所。アラブの春後のピーク時は、現状の数倍、難民船が積み上げられていたそうだ。船体にはアラビア文字。木造船でエンジンのないものもある。いったいこんな小舟でどうやってアフリカから渡ってきたのか。船内には色あせたライフジャケットや毛布、空になったペットボトル、接岸用のロープなどが生々しく放置されていた。ひときわ大きな難民船があった。エンジンがあったと見られる舟艇部を覗き込んでいたら「警察に見つかるとまずいから降りて」と言われた。船底部分のわずかなスペースに妊婦や子どもを含めた大勢が鮨詰めで来るのだそうだ。よりよい未来を信じて命がけで。

次に向かったのは、難民収容所。鉄条網とフェンスで囲われ、自動小銃を構えたイタリア兵が警備をしている。56名はこの中に既に収容されているという。アンナさんにお願いして取材交渉と通訳をお願いした。「プレスパス」と「ノー」だけが聞き取れた。自動小銃を構えられている状態で粘るのが少し怖かった。せめて外回りだけでも撮影させてくれと頼むが、それも拒否。仕方ない。取材交渉の前に遠くから撮影した施設の写真がある。これを元に後日、絵を描けばよい。

帰り際にイミグレーションオフィスを訪ねた。昨日は閑散としていたのに、今日は警察官が立ち、入り口を車両で塞いでいた。カメラを向けるのが憚られる。イタリアでは軍人や警官を撮影すると画像や動画を削除される場合があるという。一旦構えたビデオを収めた。

午後は「ヨーロッパの門」と言われるモニュメントと、名もなき難民たちの遺灰がまかれているという墓地へ取材に行った。モニュメント自体は難民たちに開かれたヨーロッパを象徴しているそうだが、現在、難民や不法入国者に対しての手助けはできないことになっているという。近くには第2次世界大戦時に使用した要塞がまるで遺跡のように点在している。その上から海を見る。観光客を乗せたクルーザーが通り過ぎていく。乗客に手を振られたので振り返した。この対比が胸を締め付ける。アメリカとメキシコ国境でうけた衝撃と同じではないか。より良い未来を信じて命がけで国境を超える行為は、世界中に存在する。僕が呑気に暮らしている間に、暴力や貧困から脱するために命を懸けている人々がいるのだ。そして、今、その現場にいる。観光客の事を悪く言うつもりは毛頭ない。ただ、単純に、それぞれの日常のコントラストを思うと胸が締め付けられるのだ。

最後は墓地。地元民の墓地の奥に、ひっそりと佇む木製の十字架。木造船の船首を使った十字架から、作り手の弔いの気持ちが伝わるようだ。ここに弔われた者もあれば、誰に見つかることもなく海の底に沈んでいった者もいるという。命を懸けた者の中にもある運命のコントラスト。今日、たどり着いた56名の難民にはどんな未来が待っているのか。

ローマで聴いた話では、イタリアは現在、連立政権で難民政策は元より様々な政策が迷走していると。右派政党の党首が移民の上陸を拒否しているという。しかし、ランペドゥーザ島の属するシチリアでは、市長が国の移民拒否に法的手段で対抗しているらしい。そして、明日から3日間、行われる選挙。子どもたちはその間、学校が休みになるらしく大喜びらしい。もしかしたらその3日間で、この56人の運命に、陰のコントラストが生じるかもしれないと思うと、子どもたちの無邪気な顔を真っすぐに見ることができなかった。明日は雨らしい。運命のコントラストに雨というファクターが重なる。年端もいかぬ難民が、風邪などひきませんようにと祈るしかなかった。