2019年10月23日水曜日

Same heart in Katmandu

朝3時まで原稿の手直しをして、7時前に起きようと横になった。ところが、ウトウトしては目が覚める。なんだろう、この胸の高鳴りは。

起床予定の7時まであと何分だろうと携帯を見ると6時58分。あと2分横になって、身支度と朝ご飯をすませよう。

心配事は、サントシさんが、個々の家に「住所がない」ネパールの家にたどり着けるかということだけだ。事前にGPSの位置情報(北緯東経)を送って、自宅の写真と目印となるバレーボールコートの写真を送っておいた。

「準備できましたよ~」とメッセージを送った。すると電話がかかってきた「近くまで来てると思うんだけど、写真に写っている表札が読めないんだ。どのお宅か名前を教えてくれないか?」と。はいはいちょっとまってねと、家主さんのお名前を伝えた。で「表に出ときます」といって電話を切った。

外に出て待つこと数分。サントシさんと、同僚のプナムさんがスクーターで現れた。初めて会ったような気がしない。久しぶりという感じでもない。

フェイスブックでお互いの日常を見ている人に会うと、初めて会った時に、ちょっと不思議な感情を抱く。最も近い気持ちを探ったが「久しぶりじゃあないけど、久しぶりな感じがしますね」なのだろうか。

がっしりハグして、お互いに「マジで会えてうれしいです」「ほんとうに夢のようですね」と。早速、フラットに案内した。

彼との縁は、僕が韓国陸軍施設に平和の壁画を描いた記事を、ご自身のフェイスブックでシェアしてくださっていたことから始まった。

彼も「破壊よりも創造」というテーマで、地域の人や、子どもたちを巻き込んでアートを通じた平和活動をしていることを知った。それから「いつか一緒に活動できるといいですね」とやり取りを続けていた。

そして4年後、それは現実となった。

「本当に本当にお会いできてうれしいです」「それは私も同じです」「昨日、チュニジアからお帰りになったんですよね。時差ボケは大丈夫ですか」「はい。全く問題ありません」

若さと、溢れんばかりのエネルギーを感じた。彼は現在、アートを通じた活動だけではなく、学校創設や教育の普及に力を入れており、その活動範囲を広げている。内戦や王室の消滅のせいもあるのだろうか、カトマンズはもちろん、ネパール国内で公共インフラはもちろん、教育や医療の整備が進んでいる途中だ。だから、首都のカトマンズでも停電するし、水もとまる。(でも、ゴミの分別は厳しい)

彼はカトマンズから西のダーディンという都市周辺に教育施設を作っているという。首都のカトマンズではスクールバスが下校時になると何台も走っているが、地方になるとそうもいかないらしい。現在17校の学校の創設がはじまっており、彼と彼の仲間たちはそのうちの7校の創設にかかわっていると言っていた。

「医者になれだとか、エンジニアになれだとか親の希望はあるでしょう。しかし、私はそれは生きるための手段であると考えます。本当に育てたいのは平和を求める気持ち。お互いを尊重し良い未来を創る力です」

ネパールの学制がどうなっているのか分からないが「平和」と「教育」を結びつけるために、カリキュラムまで考えていると仰った。机上の勉強だけでなはく、いかに広い視野を持つ人材を育てるためには何が必要なのか。

その一助になることができれば光栄ですと言った。

ネパールの今をぼんやり眺めていると、僕が幼少期を過ごした昭和40年代を思い出す、道には牛糞が落ちて、舗装道路も少なく。車が通るたびに砂塵が舞い上がる。雨の日は靴が泥だらけになって叱られたっけ。学校の教室内で休み時間に煙草をくゆらす先生を見て、煙草ってどんな味がするんだろうと思っていた。低学年の頃は、少数だったけど、裸足で学校に来る子もいた。全てがおおらかだった少年時代を思い出す。

見た目は、40年前の日本と同じような環境下で貧しい生活を強いられているが、昔とは異なり、インターネットや人のネットワークから入る情報量が圧倒的に違う。サントシさんらの取り組みは、平和な世の中を創造するリーダを生み出す可能性があると思う。

未来を自分たちで作っていくという気概を強く感じたから。そう。熱量は人を動かし、時代を動かしていく。