2019年10月24日木曜日

「平和の人」を育てる

サントシさんの作った学校を訪問した。カトマンズの隣町、ダハリン。30数キロ離れただけで、谷の両脇に棚田が広がる農村地帯が広がる。美しい。車を降りて、未舗装の坂道を上る。途中、子どもたちが挨拶してくれる。美しい斜面に切り開かれた平地に校舎があった。小学校である。クラスは5つ。

子どもたちは当番で掃除が決まっているらしく、掃除が始まった。手伝った。労作教育。いいことだ。始業の鐘が鳴ると、皆一斉に教室に戻り歌を歌い始めた。その後、1時間目の授業が始まった。

5クラスに対して4人しか教諭を確保できていないという。そして、そのうちの一人は賃金が払えずに、現在、出勤していないと。昨日、フランスから、アートとダンスを教えるボランティアである「ココさん」がいらした。合わせて4人。ということは、必ず、ひとクラス自習になる。1年生は3歳児も交じっており、目を離せない。ということは、当然、2年生以上にそのしわ寄せがくる。

色鉛筆や教材が足りなくて、数人で共有しながらの授業。しかも、異なる文化や歴史的背景を持つ人との触れ合いは、彼らの成長に何らかの影響を及ぼすだろう。

ただ、ほかの先生は、教科書を写させたり、子どもらに九九の暗唱をさせたりしていたが、正直、教育への熱意の様なものは感じられなかった。それでも、これまで何時間もかけて遠くの小学校へ行っていた彼らにとっては大切な学びの場であることは間違いない。

折り紙ワークショップから日本文化の紹介や日本の歌の披露をした後、写真撮影に協力いただいた。帰り際に、サントシさんから、私の視点からの教育改善のためのフィードバックを求められた。翌日、僕の視点で書いて送った。

日本で私が実践してきた教育過程づくり、評価、改善の3点の必要性。そして、彼の掲げる「PEACE FOR PEOPLE」をどの様に教育を通じて実践していくのかを英文で起こした。日本ですら教育目標から教育課程を考えるのは大変なのに、英語だと尚更だ。

ただ、大いに単語の勉強になる。教育関係の専門用語をいくつか覚えた。で、送信した。彼への恩返しになればいいと思う。それと同時に、日本でも言えることだが、教育の質というのは校長と教員の質に大きく影響されるということ。

先生方の質や志の低さを感じたとも書いた。(教員時代、日本でも同様に感じた)自ら学ぼうとする意識や、効率的な教指導方法を追求していない。サントシさんの熱量に対して、スタッフがついてきていない状態が見えた気がした。もちろん、運営資金のショートや賃金に見合う仕事なのかだとか、いろいろ解決すべき問題はあると思うのだが。

ふと。ネパールの今後を考えた時、教員養成所を設立するのはどうだろうと。教育は平和な世界を創造する活動の根幹のひとつであるのは間違いない。この地での教員免許システムがどのようになっているのか分からないが、教員の質を上げることが最も効率がいいのではないかと。もちろん、これは現在はただの妄想だが、地方の個人設立の学校が、運営資金で苦しむ中、教師を派遣しながら、教師の給与をこちらで保証するシステムが作れないかと。

様々なインフラや人材が成長中のこの国で、できることは多いのではないだろうか。そして、様々な国々がトライアンドエラーの中で積み重ねてきたものを、上手くネパールの未来に生かしていけないだろうかと。

「平和の人」を育てる。その為に何が必要なのか。教育課程を考えながら心が躍った。久しぶりに教師の血が騒いだ。