2019年10月15日火曜日

【トルコ滞在を通して感じた、欧州と中東諸国の関係性について】

トルコを訪問したことで欧米諸国や中東諸国の関係が、一層明確に見えたと思います。もちろん、我々の知る範囲ですが。そして旅を通して日本を客観的に見ることができたような気がしています。そして、このタイミングでのトルコ軍のシリア北部への侵攻。まだ、旅の途中ですが、今、感じていることや考えてきたことを文章化したいと思います。

1.トルコのEU加盟と宗教問題
2.第1次世界大戦後処理とクルド人問題
3.僕らにできることとは
4.夫婦の見解

1.トルコのEU加盟と宗教問題

ネパール空港に到着して、トルコリラを両替してくれるようにお願いしたが断られた。「ここではできないから、あっちの両替所でしてくれ」と。ところが、その両替所は存在しなかった。不安定な通貨は両替を拒否されることが多い。

トルコは現在、金融危機を迎えている。数年前は1トルコリラは40円ぐらいだったらしいのだが、着いてみてみてびっくり。18円ぐらいまで落ち込んでいた。でも、物価が上がっているので円高の恩恵は全く感じなかった。政情不安定だと、金融も不安定になり、物価が相対的に上がるらしい。特に輸入品の値上がりはえげつない。僕らの旅が早く終わった最大の原因はこの「政情が不安定な国での物価高」だ。旅人の僕らがそうなのだから、地元民はもっと苦しかろう。

経済基盤の弱さに危機感を抱いているトルコ国民は自国通貨を信用していない。そこに加えてトランプ大統領の経済制裁。んが、イスタンブールには、どでかいトランプタワーがそびえ立っている。しかも堂々と「TRUMP TOWER」と銘打っている。この世のはよくわからん・・・。

何故、こんなことになっているのか簡単に言うと、2016年の反エルドランクーデターが起こった時に、アメリカ人牧師がそれを扇動していたという理由で拘束された。これに怒りまくったトランプが、経済制裁を加えた。これがトルコリラ暴落の始まり。で、エルドランの経済政策を信用しなくなったトルコ国民がユーロやドルを買い始めた。(地元民はエルドランは経済政策には悲しいほど才能がないと言っていた)
で、NATOに加盟しているにもかかわらず、ロシアや中国からミサイルを買ったり戦闘機を買ったり、シリア内戦でクルド人(後で詳しく触れます)部隊を後方支援したアメリカを激しく非難したり、欧米諸国の顔色を窺うイスラム諸国の中にあって、堂々とパレスチナ問題でイスラエルを非難したりするもんだから、益々、圧力がかかって大変なことになりそうな雰囲気だった。

「この国はいったいどこに向かおうとしているのだろう?」というのが、僕のトルコに対する第1印象だった。

そんなところに、今回のシリア北部への軍事侵攻である・・・あああ・・・。

丁度、トルコを離れて「言論と表現の自由」を得たこともあり、記憶の新しいうちに、欧州、中東と旅して見聞きしたことを「トルコ」という国を通してまとめておこうと思う。

バルカン半島を旅しているときに、オスマントルコの話題は、沢山出てきた。ブルガリアは露土戦争で独立を果たし、第1次世界大戦での敗戦でオスマントルコはなくなった。150~100年前の話だ。オスマントルコの治世を過去の話だと片づけられる人もいれば、未だにトルコへの潜在的な恐怖心や嫌悪を抱いている人もいる。これはトルコに限らず、2回の大戦でヨーロッパを滅茶苦茶にしたドイツにたいして、未だに警戒心を抱く人たちがいるのと同じなのかもしれない。日本も恐らくそうなんじゃないか。今でこそ国際社会の「優等生」だが、戦争の傷跡というのは世紀を超えて残る。そういう点で丁寧な戦後処理や周辺諸国への配慮は必要だと思う。もちろん、これは戦勝国、戦敗国関わらずだ。そういう思いを、欧州・中東の旅で強くした。

そんな中、トルコはEUへの加盟を熱望していた。EUはトルコに死刑制度を始めとした司法制度の改革や、人権問題(クルド人問題)に対しての改善を求めた。それに対して、トルコはトルコなりに努力したのだろう。それでもEUはトルコの加盟を認めない。(僕から言わせれば、EUに財政破たんを隠していたギリシャのほうがもっとたちが悪い気もする)

地元の人や、地元に住む日本人に聞くと「結局はEUにトルコはイスラムだから入れてもらえない」という話になった。欧州でイスラムに対しての印象や考え方を詳しく取材していなかったので(この旅ですごく悔やまれるところ)、ヨーロッパ(キリスト教圏)のイスラムに対する本音みたいなものがないか探してみた。すると、こんな文章が出てきた。

ベネディクト16世が教皇になる前(2004年8月11日)のインタビューだ。彼はこのとき枢機卿の一人である。(章末に原文を掲載しています)

最後のパラグラフが僕にとって難解で、ちょっと何言っているのか分からないところがあるのですが、それ以外は簡単に言うと「トルコはEUに入るよりも、アラブ諸国と同盟を組んだほうがいいんじゃない?だって、トルコとヨーロッパって違うじゃん。そもそも、ヨーロッパと中東を一緒にしようというのが間違いでしょ」
最後のパラグラフは「EUはキリスト教のことを、キリスト教の負の歴史を恐れて、EU法案に盛り込むことを避けちゃだめだよ。もちろん議論は必要だけど。」と意訳できるのではないでしょうか。(意見求む)
ちなみに、キリスト教の負の歴史とは十字軍や、ユダヤ教徒への迫害などなど枚挙にいとまがない。

これのインタビューは、僕からすると「政教分離の原則」からは外れるし、EU加盟を目指していたトルコの人々は大いに失望させられたと思う。そして、枢機卿がこのような考えを持っているという事は、少なからず欧州連盟に影響を与えたはず。

また、彼は教皇になった2006年にもレーゲンスブルグ大学での講義の中で、イスラム教に対する発言をしていて、
「ムハンマド(イスラム教における最後の預言者)が新しいこととしてもたらしたものをわたしに示してください。あなたはそこに悪と非人間性しか見いだすことができません。たとえば、ムハンマドが、自分の説いた信仰を剣によって広めよと命じたことです」さらに、「理性を備えた魂を説得するために、腕力も、いかなる武器も、死をもって人を脅すその他の手段も必要ではありません」と、これは長い講義の抜粋だが、前後を読むと「イスラム教は剣(暴力)によって、その勢力を拡大していった」ということを批判する内容になっている。(出典:教皇ベネディクト十六世のレーゲンスブルク大学での講演 2006/09/12 教皇文書 ベネディクト十六世 諸文書)ちなみにコーラン第2章には「宗教にむり強いがあってはならない」とある。これも宗教が解釈され、権力によって歪められ利用されたふしが見える

これは、トルコの人々の大きな反感を買い、その収束のために教皇はイスタンブールのブルーモスクで謝罪したという。そして、イスラム教徒の対話を促進したという。

でも、何となく、この辺が本音なのかなあとも思う。人口が減少するEUの中に今後も人口が増え続けるだろうイスラム圏のトルコを加入させることで、ヨーロッパの独自性が保たれなくなるだろうというのは容易に想像がつく。「ヨーロッパの独自性」とは何だろうか。それはずばり「キリスト教圏」だということである。その権威であるバチカンの影響力の低下は、彼らにとっては大問題だと思われる。

そんな思惑が見え隠れする中、トルコはエルドアン首相の元、EU加盟を目指していたのだが、彼が大統領に就任して以降、反対勢力を弾圧し、法を自分のものとし、独裁色を強めている。EUの態度にブチ切れてしまったのか、首相在任中にEUだけに依存するよりも、もっと多角的に自国の情勢を客観視して、立ち回り方を変えたのかもしれない。

滞在中、実際にツイッターやSNSは規制され、ウィキペディアや主要なニュースは閲覧できないようになっていた。また、先日の選挙では、大票田イスタンブールを落としてしまった。ところが、3か月後にもう一度選挙を行うという法案を成立させて、その選挙で圧勝して、そのまま大統領の座に居座り続けているという。その3か月の間はロビー活動やプロパガンダが相当激しかったそうである。(地元民談)

もしかしたら、首相として、EUとの確執や、国内世論、周辺国とのバランスをとりながら舵を取ってきたのが、大統領就任という大きな権力を一手に握った後、トルコの持つ地勢的意義や、これまでの難民問題でのEUへの貢献、欧米諸国の援助がなくてもロシアや中国とも手を結べるということをカードとして、イスラム圏の盟主としての復権を目指しているのかもしれない。

その根拠として、イランの核保有を支持し、2009年のダボス会議でイスラエルのガザ侵攻を抗議している最中、時間切れだと演説を制止され激怒して帰国したエルドアンは国民からはもちろん、パレスチナを含めたアラブ諸国から「英雄」「現代のスルタン(イスラムの君主)」と称賛されたという(ウィキペディアより引用)

彼は全方位を見ながら、地勢的な優位性を生かしながら、トルコの復権を夢見ているのかもしれない。

※ベネディクト枢機卿のインタビュー全文
Cardinal Joseph Ratzinger said in an interview released on Wednesday that Turkey should seek to join Islamic nations rather attempt to join the European Union. The prefect of the Congregation for the Doctrine of the Faith told France's Le Figaro magazine that Turkey had always been "in permanent contrast to Europe," and that it should look to its roots for closer associations.
"In the course of history, Turkey has always represented a different continent, in permanent contrast to Europe," Ratzinger told the magazine, noting that the history of Ottoman Empire, which once invaded Europe as far as Vienna. "Making the two continents identical would be a mistake," he said. "It would mean a loss of richness, the disappearance of the cultural to the benefit of economics." The born cardinal said Turkey "could try to set up a cultural continent with neighboring Arab countries and become the leading figure of a culture with its own identity."
He added that he could envision such an Islamic entity forming certain ties with the European Union, working together to fight extremism, for example.
The cardinal also said that the European Union should not ignore its Christian heritage. A debate has been raging in Europe over whether to include a specific mention of the debt owed to Christianity in the EU's proposed constitution. "We should continue the debate on this question because I fear that behind this opposition (to mentioning Christianity in the European constitution) hides a hatred Europe has against itself and its great history," he said.



2.第1次世界大戦後処理とクルド人問題

僕が初めて「クルド人」という名称を聞いたのは2014年3月のことだった。シリア内戦でISがクルド人集落を全滅させたという話を、教え子でもあり友人でもある津村氏から聞いたのだ。

クルド人とは「トルコ・イラク北部・イラン北西部・シリア北東部等、中東の各国に広くまたがる形で分布する、独自の国家を持たない世界最大の民族集団」である。(ウィキペディアより)
オスマントルコ時代は上記地域がひとつの国としてまとまっていたので、オスマン帝国内でクルド人は多数派でいられた。ところが、第1次世界大戦後、オスマン帝国が敗れ、サイクス・ピコ協定に基づきフランスとイギリスとロシアによって引かれた「恣意的」な国境線により、トルコ・イラク・イラン・シリア・アルメニアなどに分断された。3国の思うがままに、この地域は分けられてしまったのである。

第1次終戦直後のセブール条約には「クルディスタンというクルド人国家の設立」が条文にあったのだ。ところが、条約に反発したトルコ国民軍が現在のトルコ国境を取り戻す形で、新たに結ばれたのがローザンヌ条約である。この結果、セブール条約は批准されなかった。

セブール条約では、現地の民族や宗派で、それぞれ国を作りますよということになっていた。ところが、それに反発したトルコが国境を押し戻して、結局、国際社会がそれを認めてしまった(ローザンヌ条約)。これで、「それぞれの民族や宗派で国を作る」という話が反故になてしまった。トルコが思う「トルコ国境」にはクルド人やアルメニア人が入り組んでいる形で存在していた。そもそも、現地の民族や宗派で国を作るという事は難しかったとも言えるが、問題はその後である。

旧オスマントルコ領は、戦勝国の思惑で線引きされた。(サイクス・ピコ協定)民族や宗派を無視した形で引かれた国境線によって分断されたクルド人は、それぞれの国で少数派となり民族としての主張ができなくなった。さらに、アルメニア人は国外に出ていく羽目になってしまった。

トルコ国内で少数派になったクルド人は民族的主張を抑圧される。そんな中、1984年から2013年まで、クルド人の文化的・政治的権利と民族自決権を求めてトルコに対する武装闘争を行った。ちなみに、クルド人はトルコ全人口の10~25%を占めると言われている(幅があるのは混血が進んでいるため)
結局、武力闘争を行ったクルド人勢力がトルコから出ていくことで、この紛争には決着がついたのだが、問題はその他のクルド人である。武力闘争を行っていた一派が出て行ったことで、自分たちへの抑圧がまた強まるのではないかと。また、潜在的にトルコはクルド人の独立や民族自決を恐れている。よって、トルコ国境沿いとシリア北部のクルド人勢力を敵視している。

そこで、今回のシリア北部への武力侵攻である。第1章でも述べたが、トルコは、地勢的意義や、これまでの難民問題でのEUへの貢献、アラブ諸国での評価の上昇、欧米諸国の援助がなくてもロシアや中国とも手を結べるということをカードにして、全方位から何も言われない状況を作り、クルド人制圧へと本格的に乗り出したのではないかと思われるのである。

特に僕が思うのが、サイクスピコ協定である。ISもこの協定によってひかれた国境を認めないということを戦う事のひとつの理由としていたし、間違いなく、100年前に恣意的に作られた国境線が、中東の火種になっていることは明らかである。戦勝国、戦敗国関係なく、民族や宗派はもちろん、その地域に最大限配慮した戦後処理をすべきである。

果たして、イギリス、フランス、ロシアといった国々は、この歴史に対してしっかりと向き合っているのだろうか。僕には少なくともそうは思えなかった。
11日に国連安保理からのトルコに対する軍事作戦の停止声明は、常任理事国ロシアの一言で反故になった。戦勝国と戦敗国というカテゴライズが存在する国連は、もはや大国の思惑から逃れられない。

何のための国連なのか。国際連盟も国際連合もカントの「世界平和のために」に書かれた理念を大いに参考にしたという。今一度、カントの言う「平和のための連合創設」から理念を学びなおし「恒久平和のための連合創設」に向けて議論を深め、実現を目指していくべきではないだろうか。



3.僕らにできることとは
1月後に韓国に行く。日韓関係は最悪の状況。そんな中での訪問だ。これまで2度訪問しているが、今回は違った旅になるだろう。

僕は日本の戦後処理について「相手が納得するまで過去と向き合う」というスタンスを支持している。これは、何も戦後賠償をずっと続けるだとか、事あるごとに「ごめんなさい」と謝り続けることではないと思っている。誰の言葉か「敵を憎まず戦争を憎む」というを聞いたことがある。日本が「戦時下での女性や労働者、弱者の人権にしっかりと向き合い、二度と侵略により、民族や宗派の尊厳を冒してはならない」という姿勢をとり続けるということだ。これにはもちろん、日本の戦後処理はもちろん、歴史に正面から向き合う必要がある。嫌韓の風潮が広がる中、この意見は受け入れてもらいにくいかもしれない。

アウシュビッツで、真剣に自分たちの過去と正面から向き合うドイツ人学生を見た。バスで大勢でやってくる。ドイツではこの負の歴史に向き合うことを教育の中で義務としているというのである。自虐史観という向きもある。だが、僕の目にはこれが「未来志向」だと思えたのである。負の歴史を直視し、広義の戦時下での表現自由の抑圧や、宗教弾圧、人権蹂躙(ホロコースト)を繰り返してはならない」という国としての決意を見た気がした。
そして、そのことが周辺国への、2度もヨーロッパを戦火に巻き込んだドイツへの「安心感」の醸成につながっている。

このあり方を見てから、日本の韓国とのやり取りは「戦後の人権問題をさっさと処理したい」と目に映るようになった。そして、そんな日本政府の態度や、昨今の問題を通じて、日本に対する潜在的な恐怖を感じている韓国人は存在すると思う。(そして、それを確かめたいとも思っている)慰安婦問題や徴用工問題も、それぞれを個々のトピックとして扱うのではなく「広義の人権問題」として「2度と繰り返してはならない」という姿勢を世界に「強く発信し続けること」が、日本へのさらなるリスペクトを呼ぶ気がしてならない。例えば、慰安婦問題を女性人権問題として捉えると、その問題の範囲は韓国人慰安婦だけでなく、日本人から台湾人、中国人、フィリピン人・・・と拡大していく。アジア女性基金の存在も「賠償が終わったから終了」というのではなくて、戦時下における弱者の人権を守るためにその役割を果たし続けようという趣旨のものであれば、もっとよかったのになあと思う。ちなみにこちらでは、慰安婦なんていう言葉は使わない。Sex slave (性奴隷)と呼ぶ。

旅で親日家や知日家には大勢出会ったが、その殆どが「アニメ・漫画」愛好者である。政治的な事で日本をリスペクトしているという言葉は残念ながら一度も頂いたことがない。要するに日本に対する政治的なリスペクトは欧米では殆どないのである。
日本は海に囲まれて国境線がないから、我々の抱える問題は理解できないと思うんだけどとか、移民難民問題に消極的な日本の状況に苛立ちを感じている人がいたりするのだ。

ちなみに、ドイツに対する政治的リスペクトは耳にした。日本人からすると「これでもか」というほど過去に向き合っている。もちろん、周辺国からのドイツに対するプレッシャーもあるだろう。過去に向き合い続けることでEUの中での立ち位置を確かなものにしている側面もあるが、負の遺産が、陸続きの近隣諸国に現存しており「目を背けること自体が不可能」だということもあるだろう。いずれにしても、ドイツの姿勢がEUの原型を作り存続させる大きな要因になっていることは間違いない。

余談だがヨーロッパ滞在中、ニュースで「Brexit」(ブレグジット)という単語がやたらと出てきた。特にイギリスのEU離脱に関するニュースで多く使われた。後で分かったのだが「Britain」と「Exit」を組み合わせた造語だという事が分かった。イギリスのEU離脱を表現した単語だったのだ。イギリスの離脱でEU内のパワーバランスが崩れることを恐れる向きもある。元々、ドイツを抑え込む意図もあったものが、イギリスの離脱により、EU内におけるドイツの存在意義が高まるというのだ。そういう意味でも、イギリスの離脱に伴い、ドイツの戦後処理というか「過去への向き合い方」が変わる可能性もある。実際にドイツ人の中には「自虐史観」を毛嫌いする人も存在した。あわせて、EUにおける、移民に排他的な見解を持つグループや、極右政党の台頭が顕著になる可能性も考えられる。

そこで必要だと思うことが「戦勝国の戦後処理の見直し」だと思うのだ。いつまで第2次世界大戦の構図を引っ張った形の世界構造で我慢し続けなければならないのかという向きは存在する。今後はそういった枠組みを超え「過去に向き合う取り組み」が必要だ。

どうして、こんなことを考えるようになったのか。その大きなきっかけを与えてくれたのもトルコだった。世界最古の平和条約「カディッシュ」。ヒッタイト帝国とエジプトがこれ以上戦争を続けられないということで結ばれたものだが、ローマ帝国が一帯を支配した時には、ローマ帝国は所謂「戦勝国」だったので条約など結ぶ必要もなく、戦いによる賠償や贖罪は必要なかったのだ。また、特に一神教のユダヤ人に対する支配は、ほかの地域と異なっていたらしく、比較的、被支配地域の文化を尊重していたローマ帝国の中にあって、厳しい扱いを受けていたという。

世界最古の平和条約を見ながら「勝者の作った歴史が後世に遺恨を残すことがあるではないか。それは歴史的事実を見ても明らかなのに、何故、勝者は過去に向き合うことをまるで免除されたかのように振る舞うことができるのだろう。そして、そんなことが許され続けていいのだろうか」という気づきになったのだ。

そういった気づきから、ドイツ、日本といった第2次世界大戦戦敗国だけでなく、戦勝国も自らの行った戦後処理について、再度考証し「過去に向き合う」べきだという思いを強くしたのだ。そして、思い出したのがカントの永遠平和のためにだった。永遠平和を目指すのは国家の義務である。そこに戦勝国や戦敗国といったカテゴライズは必要ないと。

僕らにできること。それは「戦敗国」として「過去に向き合う」ことはもちろん、その活動を通して「戦勝国、戦敗国関係なく、すべての国家は永遠平和を目指すための義務を果たさねばならない」という姿勢を見せ続けることではなかろうか。

つか、EUがトルコのシリア北部への侵攻を非難した時に「350万人の難民をEUに送り込むぞ」というトルコの脅し。これをEUは「難民の兵器化」なんて言って強く非難していたが、そもそも、この原因を作ったサイクスピコ協定に絡んだ国々は「過去に向き合い贖罪する」必要はないのかいなと。

もちろん、難民問題でEUの存在意義自体が現在揺らぎまくっているのは知っているが、その原因はいったいどこにあるんだということを、しっかり議論してほしいものである。まったく・・・。



4.夫婦の見解
かおりと旅をして二人で同じものを見聞きしてきた。二人とも平和を望んでいるのは間違いないが、そのプロセスに対しては意見が異なる。僕自身は、全ての国が現在起こっている紛争の原因に向き合い、力を尽くすこと。それと、常任理事国を固定した現在の国連の在り方を見直し、大国の思惑に惑わされず、同じ過ちを繰り返させない組織を作ることだと思い始めている。

一方かおりは、僕のそれは理想論だという。人はどんな環境でも幸せを見つけることができる。思想の偏りがあるのはいい。だって、それは必然的だから。そのバランスをとることが大事なんだけど、それが難しい。人類は同じ過ちを繰り返すからね。現在の秩序を元に良い意味での「妥協」を求めていき、その中で幸せに暮らしていく方法を探ったほうが良いのではないかと思う。もちろん、今起こっている紛争が良いとは言わないよ。でも、この今を生きていかないといけないということと、その今をを変えていかないといけない。100%の解決はないけど。
この旅を通して、様々な考え方や状況に触れるたびに、お互いの考え方も徐々に変わってきているよね。でも、教育と環境は大事だよね。

この原稿を書きながら、かおりと話をしている。そんな中でも、新たな発見があったり、お互いの意見の相違が明らかになることもある。
現在、主に上がっているのは「幸せの定義」である。僕は「言論表現の自由と生存権の保証が最低限だ」というスタンス。多様な価値観の表現を保証することが平和につながるという考えがあり、それを担保するためにはこれが最低限必要だと思うのだ。あと、やっぱり言いたいことは言いたいし、それで弾圧を受けたりしたりするのはごめんだ。

しかし、かおりは「私たちから見て不自由そうに見えてしまう国でも、幸せに暮らしている人はいたじゃない。そんな国でも自国愛があって、自分の仕事に誇りをもって自分の意見を持って生きている人たちがいたよね。幸せはどんな状況でも見つけられると思うんだよね」と。その話を聞いて、これまで出会った人々の事を思い出した。

パレスチナでお世話になったカップル。狭い地域に押し込められ、いつイスラエルが入植してくるか分からない。国境をまたぐこともできない。海外に出るもの一苦労。宗教を拠り所とせず、自ら道徳的に生きることを選択している彼ら。そんな彼らと、夜の涼しい風に吹かれながら、バトミントンをしたり、星空を見ながら話をしたのを思い出した。あの瞬間、彼らは間違いなく幸せそうだった。

パレスチナ難民としてヨルダンに逃げてきたトルコ人一族。ライフラインも乏しく、新興住宅地の空き地に移り住みながら、安い労働力としてヨルダンの発展を支えている。テント生活でコンロはひとつ。夜は車のバッテリーを外して、LED電球で明かりをとる。でも、大家族で大笑いしたり、とても楽しそうに日々を過ごしていた。

他にも、ここには書けないが、厳しい言論、思想統制の中でさえも幸せに生きている人たちはいた。(多少、窮屈な思いはされてはいたが)

かおりの言うように、貧富の差、生存権を脅かされる状況、表現や言論の自由のはく奪。様々な問題を抱える世界でも「幸せに暮らしている人」がいることは事実なのだ。

人はどこでも幸せを見つけることができるのかもしれない。でも、国際NGOの「シリア人権監視団」は、10月14日、トルコのシリア侵攻で、54人の民間人が死亡し、13万人が避難を余儀なくされていると発表した。亡くなった民間人54人はもう、幸せを探すことすらできない。

ちなみに、かおりの言う「妥協」とは、僕の言う「多様な価値観を認めること。そしてお互いの表現の自由を認めること」と限りなく近い気がしている。ただ、それは難しいんじゃないかと、言っているのだと思う。

旅は、あとひと月ほどだ。自分らが訪れた地が現在進行形で大変なことになっている。ただ、ひたすら胸が痛い。

刻々と変わる情勢をニュースで見ながら、いろんな人と話をしたのを思い出した。その中に「第3次世界大戦はトルコから起こるんじゃないだろうか」と言った人がいたのを思いだした。ぞっとした。

決して対岸の火事ではない。世界は連動して動いている。トルコの金融危機には日銀もからんでいる。

移民問題もそうだ。枕崎ではすでに技術研修生を、安い労働力として受け入れてきた。鹿児島市内の建築現場や介護現場に行けば、東南アジアからの技術研修生が働いている。大都市に行けばコンビニやガソリンスタンドでも移民が働く時代だ。

移民政策に消極的だった日本が、受け入れに積極的な方針をとる中、どうやって共存していくのか、価値観の多様化が益々進む中、どのような対応が必要なのか考える必要がある。と、いっても難しいことではない。

僕の第2の故郷、枕崎には、随分前から、海外からの技術研修生が大勢いる。正直、枕崎市民は彼ら(彼女ら)との交流を積極的には行っていない。すぐ近くに住んでいるのに、挨拶もせずにスルーするひとが多いのだ。どの国から来たのかも知らないはず。まずは、挨拶をする。そしてその人の国籍やバックグラウンドを知る。それから、彼らの持つルーツや価値観に触れる。そうやってお互いの理解が深まると思うのだ。

ネパールではこんにちはは「ナマステ」、ありがとうは「タンネバー」だ。これにあわせて合掌する。皆、笑顔で挨拶を返してくれる。英語が世界共通語(確かに便利だし、どの国にも英語が通じる場所はある)だと思っている人は要注意だ。英語も通じないのか・・・とコミュニケーションを諦めてしまうことは「価値観の拒絶」につながるということを知ってほしい。自分自身がそうだったから・・・。

旅の初期、ヨーロッパで思うように英語が通じなくて「うわー。不便だ。英語通じない・・・」と愚痴をこぼす僕に「英語が通じなくてもコミュニケーションは取れるでしょ。通じないからこそ、身振り手振りで何とか相手の言いたいことをくみ取ったり、伝えたりすることにも意味があるんじゃないかな」と。

また、バルセロナのダビッドさんも「その国で、その国言葉を使おうとしないアメリカ人やイギリス人は失礼だ。あと、ポルトガル人もスペイン人(彼らはスペイン人とカタルニア人を分けて考える)も、カタルニアに来たらカタルニア語を喋るべきだ。失礼だ」と仰っていた。彼は、訪問国へのリスペクトを表すために、訪問国の言語をかなり高度なレベルで駆使できる才人だ。ちなみに、日本語もペラペラです。

かおりが、旅の中で実践し続けてきた「その国の挨拶とお礼を現地の言葉でいう事」。それこそが多様な価値観に触れ受容していくために、誰にでもできる実践なのではないだろうか。そして、そういう簡単な実践こそが、相手に対する尊厳となり「平和」へと繋がっていくのかもしれない。

そして、その先に「永遠平和」が待っているのかもなと。韓国訪問では、最大限の敬意をもって、彼らの価値観に触れてこようと思っている。