朝一、旦那商店に行った。今日の午後から店の横で撮影の許可を取りに。快諾。午後3~4時ぐらいが下校する子どもたちが多く通るからベストだろうと。ではその時間にといっていったん家に帰る。
旦那商店と自宅は100mぐらいの距離。毎朝、途中のお宅の飼い犬が、路上で完全に気を抜いて寝転がっている。よく見ないと死んでいるのではないかと思うほど動かない。まだ、ティハールの神を自宅に招き入れるペイントをそのままにしているお宅もある。バレーボールコートには早々と若者が1人、仲間たちを待っている。歩いて登校する中学生と挨拶を交わす。仏教徒の家の上のカラフルな旗がゆっくりとはためき、オレンジの袈裟を纏った僧が朝の托鉢をしている。向こうの緑の山が、埃でかすんで見える。いつもの朝だ。
明日、ネパールを発つ。もう1か月過ぎたなんて・・・。余りにもたくさんの事があったからなのか。もうすでに、ここでの生活が日常になってしまったからか。空港でアライバルビザを手に入れるのに滅茶苦茶手こずった日が遠い昔のようだ。
朝食をとり、ウクレレの練習をした。撮影まで時間があったので、大家さんに挨拶に行こうと階段を上がった。丁度、出勤するところだった。「お仕事ですか?明日の朝7時半にここを発つのでご挨拶にあがりました」「そうですか。折角ですから、奥さまも一緒にお茶でも」と。ありがたく頂いた。
ご主人は貿易会社を営んでいる。日本にはまだ展開していないそうだが、欧米を中心にネパールの手芸品などを輸出しているという。地元のライオンズクラブの会頭を務めるなど、周辺の顔役のような存在なのだろう。
「1か月にわたる滞在を、快適に過ごせるようにお気遣いいただきありがとうございました」とお礼を言った。ここは中長期滞在の外国人が良く利用する宿泊施設で、僕らの隣の部屋には1年契約で中国ルーツの女性が住んでいる。僕らはこの施設を利用した初めての日本人だということだった。日本人のゲストにもっと利用して欲しということで「エアビーアンドビーのレビューを日本語で書いてほしい」と言われた。もちろんそうさせていただきます。
お時間はまだ大丈夫か確認して、どうしても知りたかったことを質問した。ネパール内戦の事だ。1996年に政府軍と警察、マオイストという共産党毛沢東主義派との内戦が勃発した。2006年まで続いて国内は荒れに荒れたと。サントシさんがマネジメントしている学校が内戦で破壊されたという事実を知っていたこともあり、相当大きな内戦だと思っていた。そして、様々なインフラが破壊されたという断片的な情報から、内戦からの復興がネパールの最優先事項ではないのかと思っていたのだ。
ところが、これまで聞いた話や、調べたこと、タクシーの運転手さんからの話とは随分異なる話となった。
「あなたが言うように、陸軍と警察、マオイストの間で内戦があったのは事実です。しかし、私は、ほとんどの国民にとって、この内戦はそこまで悲惨な事ではなかったと考えています。もちろん、約7300人ほどの人が亡くなったのは事実で、その親族の方々にとって悲惨な出来事であることは間違いありません。また、多くの施設が無差別に破壊されたというより、政府に関係する施設や作戦で橋が壊されたりしたことはありましたが、基本的に散発的な銃撃戦が長期間続いたという見方が正しいでしょう。内戦中も、カトマンズのこの地域は日常生活を過ごすことができていましたし、私立の学校が多いので教育も問題なく受けることができていました」
「なるほど。この地域はもちろんカトマンズの人々は内戦中も変わらず教育を受けていたのですね。だから、こんなに英語教育が普及しているのでしょうか」
「そうですね。私立の学校は攻撃の対象外でしたし、内戦の影響は少なかったでしょう。ただ、私自身は英語を学校で学んだのではなく、仕事とともに覚えていきました」
「現在、マオイストが政権を握っていますが(正確には連立政権)、彼らは共産党系の政党ですよね。共産党系政党の国家は一党独裁国家になるというイメージがあるのですがどうなのですか」
「確かに、現在、マオイストが政権を握っていますし彼らは確かに共産党です。しかし、彼らは、ロシアや中国といった一党独裁政権とは異なり、非常にリベラルな考え方を持っています。私たちには民主主義と同様に選挙権があるのです」
「それは驚きました。他の政党も左派系の政党だと聞いていたので、もしかしたら、ほかの国のように独裁国家なのかもしれないと思っていました」
「ネパールは他の共産圏とは違うのです。もちろん、内戦は良いことではありませんし、戦死者も出ています。しかし、物事にはネガティブな部分とポジティブな部分があります。内戦をポジティブに捉えることもできると思うのです。例えば、内戦は国政を大きく変えました。これは私たちにとって良いこと(民主主義や憲法の制定など)だと捉えることができます。しかし、特に戦死者を出した一族にとってはネガティブに捉えられるでしょう。今でも停戦に納得しない一部の人々は、地方でですが戦闘を続けています。ただ、大規模な戦闘ではなく、小規模な銃撃戦です。我々は、この内戦をポジティブに捉えて、よい未来を切り開く必要があります。例えばネガティブな側面に焦点を当てすぎると、リベンジにリベンジを重ねる連鎖が起こってしまいます。丁度、アフガニスタンやシリアで、悪い連鎖が続いているように」
「僕らがこの活動を続けているのは、6年前に中東で、ネガティブな連鎖を目のあたりにしたことが理由です。その連鎖を断ちたいという思いがモチベーションになっています」
「悪い連鎖が起こる前に、許すという行為が必要だと思うのです。例えば、第2次世界大戦で広島や長崎に原子爆弾が落とされた日本は、今、アメリカと仲良くやっているではないですか。そういう、良い未来のために許して前に進むという姿勢が必要だと思うのです。許すということが、悪い連鎖を断ち切る唯一の方法ではないでしょうか」
かおりが言っていることとまるかぶりだ。「起こってしまったことは仕方がない。それをどう捉えるかが大切なんだと思うんだよね」と良く口にする。
「確かに、日本とアメリカ政府の関係は良好です。しかし、被爆者や一部には、未だにアメリカを許していない人はいます。ただ戦争を憎んでアメリカ人を恨まないという雰囲気はあると思います」
時計を見ると午後2時45分になっていた。撮影の時刻も迫っていたし、ご主人の出勤もある。一緒に記念撮影をして、奥さまの弟様にタメルをご案内していただいたことを伝え、よろしくお伝えくださいといって部屋を後にした。
部屋に戻り、慌てて撮影の準備をして旦那商店に向かった。あと16枚撮影できれば、ネパールでの撮影枚数が丁度100枚になる。目標16枚以上と意気込んで出かけた。が、通りには誰もいない。こりゃあまずいなあと思っていると、店のご主人が娘さんを紹介してくださり、本日最初の撮影をさせていただいた。その後も、お客様を紹介していただいたり、ランプラサッドさんという知日家の方が道行く人への声掛けを手伝ってくださったりして、次第に枚数が増えていった。そして、4時ごろになると学校の帰宅ラッシュが始まった。子どもたちにも声をかけて撮影に協力していただいた。
なんと1時間半ほどの撮影で28枚。ネパールでの撮影枚数は112枚となった。撮影を続けたかったが、明日の出発の準備やタクシーの手配、部屋の掃除などすることが多かったので、切り上げることにした。
旦那商店のご主人や、お世話になった皆様にお礼を言った。そして、また必ず帰ってきますと約束してお別れした。サントシさんとのネパールでの平和教育活動も楽しみだし、日本の子どもたちを巻き込みたいと思っている。そして、2021年春から本格的にその活動に携わる予定だ。
同時に表現者として、ヨーロッパを舞台に平和をテーマに制作活動をしたいという思いもある。したいことが多すぎて楽しみだ。長生きしないとなあ(笑)
パッキングも終わって、掃除も終わった。あとは、寝て、明日の朝、洗濯物を取り込んで7時半のタクシーに乗り込めば、ネパールでの1か月が終わる。
ただ、自己資金の目減りが早く、帰国後の生活がちょっとだけ心配になってきている(深刻ではないのでご心配なく)。なかなか計算通りには行かないものだ。でも、どうだ。今、僕の目の前には、とても楽しそうで、誰も歩いたことがないような人生が広がっているではないか。不安よりも楽しみが多すぎて、未来が楽しみだ。
しかし「平和」というテーマの持つ質量の重さに耐えきれなくなりそうになったり、生存権などない状況で生活を送っている人々と出会ったりするなかで、精神が崩壊する直前まで追い込まれたこともあった。大きな内的クライシスモメントを3度経験した。中東を抜けるまで、精神的にも肉体的にも、本当につらい旅だった。ただ、そこを妻と共に乗り越えたことで、また、僕らは少し変わることができたと思っている。
先の見えない未来を、よりよいものにしていくために、これからも多くの人々と手を取り合って進んでいこうと思う。国境や宗教、人種を超えた人とのつながりを表現するための旅で、僕らはそのまま、国境や主教、人種を越えた人とのつながりを得た。この繋がりは表現だけでなく、より具体的な平和へのアクションへ繋がる。平和のためにできることが増えて、より多くの人、特に子どもたちを平和な世の中づくりへと導いていくことができるのではないかと考えている。
この旅での撮影枚数は1224枚となった。しかし、撮影だけではなく、様々な人との出会いや、独裁国家や内戦が続く国への滞在を含めて、出発した時よりも多くの視点に立つことができるようになっていると思う。普遍的視点がどんなものなのかは、未だ漠然としているが、少なくともこの旅は、以前の壁画の旅よりも「平和への絆」を繋いでいる実感がある。
明日、タイを経由して韓国に行く。滞在は短いが、友人たちと本音で語り、知見を深め、平和を考えるうえで大切な普遍的視点についてさらに深く考察したいと思っている。
韓国を最後の目的地に選んで本当によかったと思う。欧米中東で見たことや学んだことで、間違いなく以前の僕とは違った視点で物事を捉え、それを率直に表現できるようになっているから。
全体主義。ポピュリズム。ナショナリズム。どんなものにも飼いならされない矜持と共に、韓国を訪れ、帰国する所存です。
旦那商店と自宅は100mぐらいの距離。毎朝、途中のお宅の飼い犬が、路上で完全に気を抜いて寝転がっている。よく見ないと死んでいるのではないかと思うほど動かない。まだ、ティハールの神を自宅に招き入れるペイントをそのままにしているお宅もある。バレーボールコートには早々と若者が1人、仲間たちを待っている。歩いて登校する中学生と挨拶を交わす。仏教徒の家の上のカラフルな旗がゆっくりとはためき、オレンジの袈裟を纏った僧が朝の托鉢をしている。向こうの緑の山が、埃でかすんで見える。いつもの朝だ。
明日、ネパールを発つ。もう1か月過ぎたなんて・・・。余りにもたくさんの事があったからなのか。もうすでに、ここでの生活が日常になってしまったからか。空港でアライバルビザを手に入れるのに滅茶苦茶手こずった日が遠い昔のようだ。
朝食をとり、ウクレレの練習をした。撮影まで時間があったので、大家さんに挨拶に行こうと階段を上がった。丁度、出勤するところだった。「お仕事ですか?明日の朝7時半にここを発つのでご挨拶にあがりました」「そうですか。折角ですから、奥さまも一緒にお茶でも」と。ありがたく頂いた。
ご主人は貿易会社を営んでいる。日本にはまだ展開していないそうだが、欧米を中心にネパールの手芸品などを輸出しているという。地元のライオンズクラブの会頭を務めるなど、周辺の顔役のような存在なのだろう。
「1か月にわたる滞在を、快適に過ごせるようにお気遣いいただきありがとうございました」とお礼を言った。ここは中長期滞在の外国人が良く利用する宿泊施設で、僕らの隣の部屋には1年契約で中国ルーツの女性が住んでいる。僕らはこの施設を利用した初めての日本人だということだった。日本人のゲストにもっと利用して欲しということで「エアビーアンドビーのレビューを日本語で書いてほしい」と言われた。もちろんそうさせていただきます。
お時間はまだ大丈夫か確認して、どうしても知りたかったことを質問した。ネパール内戦の事だ。1996年に政府軍と警察、マオイストという共産党毛沢東主義派との内戦が勃発した。2006年まで続いて国内は荒れに荒れたと。サントシさんがマネジメントしている学校が内戦で破壊されたという事実を知っていたこともあり、相当大きな内戦だと思っていた。そして、様々なインフラが破壊されたという断片的な情報から、内戦からの復興がネパールの最優先事項ではないのかと思っていたのだ。
ところが、これまで聞いた話や、調べたこと、タクシーの運転手さんからの話とは随分異なる話となった。
「あなたが言うように、陸軍と警察、マオイストの間で内戦があったのは事実です。しかし、私は、ほとんどの国民にとって、この内戦はそこまで悲惨な事ではなかったと考えています。もちろん、約7300人ほどの人が亡くなったのは事実で、その親族の方々にとって悲惨な出来事であることは間違いありません。また、多くの施設が無差別に破壊されたというより、政府に関係する施設や作戦で橋が壊されたりしたことはありましたが、基本的に散発的な銃撃戦が長期間続いたという見方が正しいでしょう。内戦中も、カトマンズのこの地域は日常生活を過ごすことができていましたし、私立の学校が多いので教育も問題なく受けることができていました」
「なるほど。この地域はもちろんカトマンズの人々は内戦中も変わらず教育を受けていたのですね。だから、こんなに英語教育が普及しているのでしょうか」
「そうですね。私立の学校は攻撃の対象外でしたし、内戦の影響は少なかったでしょう。ただ、私自身は英語を学校で学んだのではなく、仕事とともに覚えていきました」
「現在、マオイストが政権を握っていますが(正確には連立政権)、彼らは共産党系の政党ですよね。共産党系政党の国家は一党独裁国家になるというイメージがあるのですがどうなのですか」
「確かに、現在、マオイストが政権を握っていますし彼らは確かに共産党です。しかし、彼らは、ロシアや中国といった一党独裁政権とは異なり、非常にリベラルな考え方を持っています。私たちには民主主義と同様に選挙権があるのです」
「それは驚きました。他の政党も左派系の政党だと聞いていたので、もしかしたら、ほかの国のように独裁国家なのかもしれないと思っていました」
「ネパールは他の共産圏とは違うのです。もちろん、内戦は良いことではありませんし、戦死者も出ています。しかし、物事にはネガティブな部分とポジティブな部分があります。内戦をポジティブに捉えることもできると思うのです。例えば、内戦は国政を大きく変えました。これは私たちにとって良いこと(民主主義や憲法の制定など)だと捉えることができます。しかし、特に戦死者を出した一族にとってはネガティブに捉えられるでしょう。今でも停戦に納得しない一部の人々は、地方でですが戦闘を続けています。ただ、大規模な戦闘ではなく、小規模な銃撃戦です。我々は、この内戦をポジティブに捉えて、よい未来を切り開く必要があります。例えばネガティブな側面に焦点を当てすぎると、リベンジにリベンジを重ねる連鎖が起こってしまいます。丁度、アフガニスタンやシリアで、悪い連鎖が続いているように」
「僕らがこの活動を続けているのは、6年前に中東で、ネガティブな連鎖を目のあたりにしたことが理由です。その連鎖を断ちたいという思いがモチベーションになっています」
「悪い連鎖が起こる前に、許すという行為が必要だと思うのです。例えば、第2次世界大戦で広島や長崎に原子爆弾が落とされた日本は、今、アメリカと仲良くやっているではないですか。そういう、良い未来のために許して前に進むという姿勢が必要だと思うのです。許すということが、悪い連鎖を断ち切る唯一の方法ではないでしょうか」
かおりが言っていることとまるかぶりだ。「起こってしまったことは仕方がない。それをどう捉えるかが大切なんだと思うんだよね」と良く口にする。
「確かに、日本とアメリカ政府の関係は良好です。しかし、被爆者や一部には、未だにアメリカを許していない人はいます。ただ戦争を憎んでアメリカ人を恨まないという雰囲気はあると思います」
時計を見ると午後2時45分になっていた。撮影の時刻も迫っていたし、ご主人の出勤もある。一緒に記念撮影をして、奥さまの弟様にタメルをご案内していただいたことを伝え、よろしくお伝えくださいといって部屋を後にした。
部屋に戻り、慌てて撮影の準備をして旦那商店に向かった。あと16枚撮影できれば、ネパールでの撮影枚数が丁度100枚になる。目標16枚以上と意気込んで出かけた。が、通りには誰もいない。こりゃあまずいなあと思っていると、店のご主人が娘さんを紹介してくださり、本日最初の撮影をさせていただいた。その後も、お客様を紹介していただいたり、ランプラサッドさんという知日家の方が道行く人への声掛けを手伝ってくださったりして、次第に枚数が増えていった。そして、4時ごろになると学校の帰宅ラッシュが始まった。子どもたちにも声をかけて撮影に協力していただいた。
なんと1時間半ほどの撮影で28枚。ネパールでの撮影枚数は112枚となった。撮影を続けたかったが、明日の出発の準備やタクシーの手配、部屋の掃除などすることが多かったので、切り上げることにした。
旦那商店のご主人や、お世話になった皆様にお礼を言った。そして、また必ず帰ってきますと約束してお別れした。サントシさんとのネパールでの平和教育活動も楽しみだし、日本の子どもたちを巻き込みたいと思っている。そして、2021年春から本格的にその活動に携わる予定だ。
同時に表現者として、ヨーロッパを舞台に平和をテーマに制作活動をしたいという思いもある。したいことが多すぎて楽しみだ。長生きしないとなあ(笑)
パッキングも終わって、掃除も終わった。あとは、寝て、明日の朝、洗濯物を取り込んで7時半のタクシーに乗り込めば、ネパールでの1か月が終わる。
ただ、自己資金の目減りが早く、帰国後の生活がちょっとだけ心配になってきている(深刻ではないのでご心配なく)。なかなか計算通りには行かないものだ。でも、どうだ。今、僕の目の前には、とても楽しそうで、誰も歩いたことがないような人生が広がっているではないか。不安よりも楽しみが多すぎて、未来が楽しみだ。
しかし「平和」というテーマの持つ質量の重さに耐えきれなくなりそうになったり、生存権などない状況で生活を送っている人々と出会ったりするなかで、精神が崩壊する直前まで追い込まれたこともあった。大きな内的クライシスモメントを3度経験した。中東を抜けるまで、精神的にも肉体的にも、本当につらい旅だった。ただ、そこを妻と共に乗り越えたことで、また、僕らは少し変わることができたと思っている。
先の見えない未来を、よりよいものにしていくために、これからも多くの人々と手を取り合って進んでいこうと思う。国境や宗教、人種を超えた人とのつながりを表現するための旅で、僕らはそのまま、国境や主教、人種を越えた人とのつながりを得た。この繋がりは表現だけでなく、より具体的な平和へのアクションへ繋がる。平和のためにできることが増えて、より多くの人、特に子どもたちを平和な世の中づくりへと導いていくことができるのではないかと考えている。
この旅での撮影枚数は1224枚となった。しかし、撮影だけではなく、様々な人との出会いや、独裁国家や内戦が続く国への滞在を含めて、出発した時よりも多くの視点に立つことができるようになっていると思う。普遍的視点がどんなものなのかは、未だ漠然としているが、少なくともこの旅は、以前の壁画の旅よりも「平和への絆」を繋いでいる実感がある。
明日、タイを経由して韓国に行く。滞在は短いが、友人たちと本音で語り、知見を深め、平和を考えるうえで大切な普遍的視点についてさらに深く考察したいと思っている。
韓国を最後の目的地に選んで本当によかったと思う。欧米中東で見たことや学んだことで、間違いなく以前の僕とは違った視点で物事を捉え、それを率直に表現できるようになっているから。
全体主義。ポピュリズム。ナショナリズム。どんなものにも飼いならされない矜持と共に、韓国を訪れ、帰国する所存です。