2016年03月 ウクライナ・キエフ

旅のきっかけ
ある教え子が記者をやっていて、「2014年ウクライナ騒乱」を取材した。これをきっかけに、ウクライナで何が起こっているのか私も注視するようになった。ウクライナ西部の渡航情報がレベル1「十分注意してください」に軟化したタイミングを見計らって、いまだ騒乱のなごりが色濃く残る状況を直接目にしたいとの思いから渡航を決めた。

キエフ独立広場で黒こげになった建物を指さして「プーチンがやった」という男性。

ウクライナ騒乱で犠牲になった人々の装備。
彼らを「英雄」と呼ぶ人もあれば「テロリスト」と呼ぶ人もあった。

壁画を描いたモロダーノフ小児脳外科病院のエントランス。
この後、次女の脳腫瘍手術で病院に来ていた青年と話をした。

出来上がった壁画を前に副院長先生と記念撮影。
旅を終えて
キエフ市内は、騒乱の傷跡が残りながらも徐々に落ち着きを取り戻しているようだった。人々に話を聞く。ウクライナ人とロシア系住民では騒乱に対する見解の違いを感じることが多々あったが、最終的には皆「よく分からない」という。現地の当事者でも分からないというのに、日本では明らかにウクライナ寄りの姿勢で報道がなされていた。
首都の労働者の平均月収は2万円だという。チェルノブイリ原発の処理や内戦の問題を抱え、医療にまわせる予算も無い。日本であれば治療可能な病気であっても、ここではその殆どが命を落とすことになるという。
壁画を描いている時に話しかけてきた青年は、娘の治療のためにわざわざ遠くの街から首都の病院まで出てきたが、結局ここでも満足な治療を受けさせることができなかった。その後、寄附を集めて医療先進国のトルコで外科治療をうけたが、根治治療を前に資金が尽きて帰国したそうだ。今でも再発の心配を抱えて生活を続けている。
壁画の場所