2017年05月 日本・沖縄県南風原町

旅のきっかけ
壁画の旅は、10カ国で一区切りとしてその最後の場所は日本にするつもりだった。沖縄在住の教え子の協力を得て、病院の壁を提供していただくことになった。折しも、沖縄の復帰45年であった。

南風原町にある博愛病院。沖縄入りした日に梅雨入りした。
制作に入った途端、竜巻警報が出て屋内に退避した。
2日間は雨で、ほとんど何もできなかった。

絶対に描き終わることができないと思っていたところに幼馴染が応援に駆けつけてくれた。
一気に作業が進んだ。感謝しても感謝しきれない。

最終日前日に完成した。
壁を提供してくださった、仲本氏(左)とお父様(右)
直後から土砂降りになり、沖縄を発つまで雨が上がることは無かった。

足場が撤去された壁画。これまでで最も大きなものとなった。

旅を終えて

天気に悩まされた1週間だった。わずかな晴れ間と友人の助けで描き切ることができた。シートが外され全貌が見えた時に、これまでの苦労やさまざな思いが溢れだし、妻と泣いた。これまで関わってくださった全ての方々に感謝したいと心から思う。
占領時代の面影は、那覇市内の目抜き通りを歩いていると今となっては感じないこともある。一方で、現地の人と話をすると今でも戦争の爪痕が彼らの生活に大きく残っていると感じる。基地に賛成。基地に反対。在住米軍に関する意見は今でもタブーだという。基地の話がタブーであること自体に後ろめたさのようなものを感じて生きているという話も聞いた。
旅は一区切りを迎えたというのに、平和とは何かという疑問は、益々、深まるばかりだ。
これまで長く馴染んできたはずの日本が、こうして旅の終わりに改めて見渡してみると、なにかこれまでとは違った姿に思える。日本中に、世界中に、力を貸してくれた人たちの顔が浮かぶ。彼らの顔と声、言葉と表情を思い返しながら、私も次に進むべき道を思案する。これまでの旅の経験がヒントをくれるように感じている。
壁画の場所