2019年10月4日金曜日

【世界最古の平和条約】

イスタンブール考古歴史博物館に、世界最古の「平和条約」があるという。地下鉄と路面電車を乗り継いで行った。地下鉄はボスポラス海峡を越える時だけ地上に出る。そこからの景色はどんな国に行っても見ることができないだろうと思われるほど美しい。

路面電車への乗り継ぎで街を歩くと、客引きや値引きの声といった、ちょっとアジアっぽい雰囲気がする。乗り換えのためにしばらく歩き、博物館方面行の路面電車はどちらか聞くと「今、それそれ。急いで!日本人!」と。ダッシュで飛び乗ったのは超満員電車。汗だくになりながら現場にたどり着いた。

入場券を購入して保安検査を受ける。こちらは商業施設に入るときにもセキュリティーチェックがある。まあ、それだけ物騒なんだろう。中東のある国ではセキュリティーチェックで「GUN?」と聞かれたことがある、持ってるわけないだろ!あっさり通過して博物館へ。この博物館、古代エジプト文明からローマ時代までの遺跡や宝物を多く収蔵している。よくもまあこんなにでかい大理石の棺桶をレバノンから運んできたなあとか、壊れた神殿のパーツをかき集めてよくもまあここまで再現したなあとか。時系列で並んでいるせいで、古代エジプト文明がパレスチナ・レバノン周辺でどのように変化していったのか分かりやすかった。で、突然、ローマ帝国の治世になると、全てが一変する。支配というのはここまで劇的に習慣や文化を変えてしまうものなのだなと恐ろしく思った。

で、探せど探せど「平和条約」らしきものは見つからない。暇そうにスマホをいじっている職員に「英語分かります?世界最古の平和条約を探しているのだけど」というと「こっちこっち」とトイレの場所を教えられた。いや違う。榎本君曰く「トルコはとにかく日本並みに英語が通じません。」と。本当だ・・・。メインエントランスのインフォメーションに聞いてみた。すると意味は分かったようで「オリエント アウトサイド アナザー カディッシュ カディッシュ」と。オリエント別館にあって「カディッシュ」と呼ばれているらしいという事が分かった。

一通り本館を見た後、オリエント別館を探して「カディッシュ」を探した。人に聞かずに自力で見つけるんだと思いながら、英語のタグを読んでいく。これもちがう。これもちがう・・・・。途中、エジプトの宝物コーナーがあった。エジプト人は彼らの宝物が世界中に泥棒されたという意識があるようだ。で、エジプトのガイド、ハッサンさんも大英博物館にある「ロゼッタストーン」のレプリカを「泥棒からのプレゼント」だと言っていた。ハッサンさん、ここにも泥棒された品がたくさんありますよー。

しばらく探せどなかなか見つからない。するとかおりが「あったよ!大事に保管されているじゃない」と。僕が調べたところによると、博物館内部の角に無造作に置かれているということだったので驚いた。しかも英語の説明付き。ラッキーだ。

紀元前13世紀、ヒッタイトとラムセス2世が結んだ平和条約。それが「カディッシュの平和条約」だ。素焼きに楔形文字が並んでいる。領土不可侵、相互軍事援助、政治亡命者に関する取り決めの3つで構成されているらしい。また、驚いたことに、これはヒッタイト側のもので、エジプト側にも同じ物が存在する。こちらはカルナック神殿(どこか知らないけど)の壁面に刻まれているらしい。

「世界最古の平和条約」を見て感動すると思っていた。そして、どうして人類はこれから多くを学ばないのだろうと思っていた。

これまでの旅でも多くあったが、実際に目にすると、予想と全く違う感情が芽生えることがある。これもまたそれのひとつだった。

平和条約が結ばれたということは、戦争があったということだ。そして、これはカディッシュでの戦いで、お互いに大勢の戦死者を出し、結果的に勝敗がつかなかったことから「結ばざるを得なかった平和条約」だったということ。だから、完全に征服してしまえば平和条約など結ぶ必要などないのだ。ローマ時代のの石畳がそのまま残っている旧市街もあった。ドラスティックに全てが変わる時、それまでの文化も根こそぎ変わってしまうのだ。で、そこにお互いに平和条約を結ぶ必要はないわけだ。

平和条約から何かを学べるかもしれないと思った僕の思惑は大きく外れた。なんだか腹が立ってきた。戦争の果てに大勢の戦死者を出して、これ以上お互いに被害を大きくしたくないという妥協にしか見えなくなった。

過去の平和条約や他の戦後の条約を見ても、戦後賠償や領地分割についても戦勝国や力のある国が、自国の都合のいいように土地を分割している。(しかも現地の状況など考えずに直線的に)

欧米大国の横暴としか思えない。そしてそれが原因で争いが起こり、ひと段落したところに、フェイスブックを端とした民主化革命である。問題を起こしたと思われる国々は、歴史的間違いを認め、謝罪や正常化に向けて何かをしているのだろうか。

EUでドイツにピリピリしている周辺諸国は、中東に自らがつけた傷跡に正面から向き合おうとしているのだろうか。そして、そのことを国際社会はどうして声高らかに叫ばないのだろうか。EUの取り組み自体は評価する。しかし、いわゆる欧米列強は世界中に残した負の遺産に対して責任を負うべきではないのだろうか。

大戦の戦敗国、ドイツや日本の果たせる役割はそういうところではないだろうか。現在、世界に残る対立構造の原因は明らかになっているものが多い。国境、民族、宗教、利権の問題をもう一度見直し、それぞれの国(戦勝国・戦敗国関係なく)が持つ負の歴史に正面から向き合う事こそ、世界が平和を取り戻す一歩ではないだろうか。それを自虐史観といういう人がいてもいい。しかし、僕はそれこそが「未来志向」だと思うのだ。

負の過去に向き合わない限り、未来は開けないのではないか。そこで日本のできることは多いはずなのだと思ったのだ。

行きと帰りでボスポラス海峡の見え方が変わった。イスタンブールに来てよかった。欧米の歴史と中東の歴史、そして現状を、限定的ではあるが、自分なりに感じることができたから。この海峡が乗り越えてきた歴史に思いをはせると、ただ美しいだけでは済まされないのだと思うようになっていた。