2019年9月30日月曜日

【イスタンブールで政教分離について考えた】

トルコは政教分離を徹底して推し進めてきたはずだ。アザーンは聞こえるしモスクも沢山ある。けど、酒は比較的簡単に買えるし、女性は肌を露出しているし、アラビア語じゃない。EU加盟に向けて努力もしていた。ところが、エルドアン大統領になってから、随分、政治的な方向性は変わってきていると思う。けど、市民生活には政教分離の意識が空気のように存在していると思う。本当にイスラム圏にいるのだろうかと思うほどだ。まさか、テラス席で酒が飲めるなんて思っていなかったから。

トルコの独特な感じはこれだんだろうな。

欧米諸国の顔色を伺う中東政権の中にあって、堂々とパレスチナ支援を表明しているのはエルドアン大統領ぐらい。EU加盟をしぶられて切れたのかもしれない。シリア内戦で、アメリカが支援するクルド人部隊をテロ組織として認定しており、それを支援しているアメリカを堂々と非難し、国内のクルド人を弾圧したというニュースを読んだことがある。しかもパレスチナ支援なんか口にするもんだから、トランプ大統領がプレッシャーをかけちゃって、トルコ通貨危機が起こっているんだよなあと思っていたら・・・フラットから見えるゴージャスな建物はトランプタワー。本当にこの世はよくわからない・・・。

シリア内戦でロシア機を撃墜したのはトルコだったはず。でも、いつの間にかIS掃討のためにロシアとイランに歩み寄り、アメリカの支援するクルド人への圧力を強めているんだよなあ。で、ロシアは天然ガスのパイプラインをトルコに通しているんだとか。そういえば、トルコはロシアから戦闘機を買うとかいうニュースも見たぞ。NATOはどうなるんだ?なんなんだここは?どこに向かっているんだ?EU加盟への協議は続いているとも聞いたぞ。

「俺は誰にも屈服しないぞ!」という言葉が聞こえてきそうな強気な現政権。しかし、傍目からはよくわからない。強気な姿勢は究極のポピュリズムなのか、それとも、自身の政権を維持するための策略なのか。

イスラムの盟主みたいな感じの振る舞いも見え隠れする。NATOに加盟しているとはいえ、彼のふるまいがEU加盟への道を益々、遠くしている気もする。

旅に出る前に、このプロジェクトに関わってくれているお二人が、イスタンブール訪問を勧めてくれた。その時はトルコ行きに、そんなに重きを置いていなかったのだが、今、旅を通じて、トルコという国での滞在が、この旅の「ひとつのまとめ」になる気がしてならない。

この旅を通じて思う事のひとつに、政教分離は恐らく正解だということがある。そんな中、それをうまくコントロールしていたはずのトルコは、現在、ちょっと反転してしまっている。憲法で政教分離をうたっていても、その実現はなかなか難しいというのを、欧米で知ったから。どっかの国が進化論と聖書の話を、今でも真剣に天秤にかけているというのは僕にとっては驚きだった。そういえば、トルコにはノアの箱舟がたどり着いたとされる場所があるんだとか。

みんな、お猿さんから進化したんですよね。どの人種も特別じゃない。旧約聖書を否定するわけではないが、進化論を支持する人は無神論者が多いとか。でもまあ、無神論者を悪だと片づけるのは簡単だよな。

物語を事実としてとらえると矛盾が生じてしまうんだと思う。それは戦前の日本の教育を見ても明らかだ。古事記を史実として教えはじめたことで全体主義への道筋ができた。科学的な教育を否定することなく、道徳的な意義として宗教や神話を捉えればいいのになあと思う。

もしかしたら、人々(民族や国家)をまとめるためには、その国家や民族の「起源(ルーツ)」というのがとても重要で、それを元に、仲間と他者を分ける必要があるのかもしれない。で、分けた結果、ずーっと、どんぱちやっているんだけど。

だいたい、ユダヤ教は新約聖書を認めていなくて、彼らにとってキリストは救世主ではない。ただのユダヤ教徒の一人にすぎないという。(ちなみにロンギヌスの矢というエヴァンゲリオンに出てくる槍の名前がキリストの脇腹に刺されたものだというのはエルサレムで初めて知った)

一方、キリスト教は旧約聖書を認めながら、キリストを殺害したユダヤ教を迫害し続けた。で、コーランを認めていない。

イスラム教は旧約聖書も新約聖書も認めていて、結局、3宗教とも同じ神(呼び方は違うが)を信じているのに、2000年以上前の話を元に、未だに何をドンパチやっているんだと思うこともある。

僕自身は仏教徒だ。お経も読むし(最近読んでないけど)、写経もするし(最近してないけど)、念仏も唱えるし、ブッダの本も読んだし、浄土真宗門徒として歎異抄を何度も読んでいる。原始仏教から現代の仏教の歴史も学んだつもり。(でもクリスマスは祝うし、結婚式は神社で上げた。家には小さな神棚がある)だから、堂々とこちらの人々と宗教の話ができるのだと思っている。

あなた方が言っている神を僕は知りません。何故ならブッダの教えは宗教というよりライフスタイルに近いものです。ただ、彼の物語には2回ほどブラフマーという神の様な存在が出てきます。彼は迷うブッダを導きます。しかし、原始仏教に神は存在しないのです。でも、私は何か偉大な存在が私の近くにあることを知っています。それが、もしかしたら、あなた方の言う「神」なのかもしれません。

これは僕の本音である。しかも、英語で自分の宗教観についてどのように表現すべきなのか出発前に、いろいろ苦心した。できるだけ簡単な単語で分かりやすく。だとはいえ、プロテスタントのミサで、我ながら、よくこんなことを言ったなあと思う。それも、仏教がブッダの教えを説くものであり、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教とは全く異質の宗教だからだと思う。余りにも距離がありすぎて、突っ込みどころがなかったから、非難されることがなかったのかもしれない。(ちなみに、この旅でブッディストであることを非難されたことは一度もない)

宗教や神話を否定するつもりは全くない、パレスチナでマーセルさんが「宗教自体には問題はない。それを扱う人に問題がある」と言ったことは真実だと思う。

ただ、神や神話や作り話を元にして、人を区別したり、全体主義に導き、いがみ合い、ドンパチやるのはごめんだ。利用しちゃいけないんだよ。宗教や神話を。だから、トルコをイスラム圏だけどEUに入れようよ。で、トルコもキプロス問題に終止符を打ったり、人権問題に真剣に取り組みましょうよ。

ということをイスタンブールで思うのでした。今は支離滅裂だけど、そのうちまとまるはず。